2015 年 5 月 6 日
加瀬邦彦氏の死 - 童心に帰る
童心に帰るという言葉(いや、概念かもしれない)があるが、私にとっての童心とは何だろうか。
乗り物好きだったこともあり、車に憧れ、鉄道に憧れ、飛行機にも憧れた。車の運転は今でも好きであり、童心は現実につながっている。HOゲージの鉄道模型も一時持っていた。今も電車に乗ることが好きである。飛行機は年に数十回乗るが、今もわくわくする。
子どものころ、芦ノ湖でモーターボートに乗った。その後加山雄三氏のファンになったこともあり、これも今は月に1回程度、東京湾を走るのを楽しみにしている。
これらは今につながっている。童心に帰って今も楽しんでいるのだが、今の感覚で物事を見ている。純粋に童心に帰るとはいえないのではないか。
私の童心に帰るもう一つの要素は音楽である。エレキギターを弾きたかった。小学校4年生のころからエレキブームがあった。まずはベンチャーズに憧れた。ベンチャーズはロックバンドではあるが、歌のない演奏のみのバンドで、ダイヤモンドヘッド、パイプライン、十番街の殺人などは、小学生にもなじみやすい音楽だった。ベンチャーズが作曲して渚ゆうこさんが歌った「京都の恋」「京都慕情」などは、大いに郷愁を感じたものだ。
前後して、加山雄三の「エレキの若大将」に日本中が大騒ぎになり、「君といつまでも」がシングルレコード売り上げ350万枚を超える空前の大ヒット。あの頃の歌謡曲のバック演奏には、たいていエレキギターのサウンドがあった。
グループサウンズブーム、ザ・タイガース、ザ・テンプターズ、ザ・カーナビーツなどにも憧れたが、私はジャッキー吉川とブルーコメッツ、ビレッジシンガーズ、加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズが好きだった。曲ももちろんだが、髪が横分けで長髪ではないところも理由だった。父の影響もあったが、どうも長髪の男は嫌いだった。
エレキギターは、その後フォークギターに挑戦はしたものの3日で断念したので、今もまったく実感がない。憧れのまま止まっているのである。今がないので、純粋に童心に帰れるのかもしれない。
20年ほど前、銀座に「ケネディハウス」というライブハウスがあることを知った。加山雄三氏が月に1回ライブ公演を行っていること、加瀬邦彦とザ・ワイルドワンズが現役で出演していること、その店は元々は渡邉プロダクションが経営していた「メイツ」を加瀬邦彦氏が引き継いでいた。
メイツは、当時一世を風靡した渡邉プロの歌手の登竜門的なステージで、私が好きだった千葉紘子さんも出ていたが、私は当時高校生だったので、この店に行ったことはなかった。アグネス・チャンさんも日本でメジャーになる前、初舞台はこの店だったらしい。
それから20年、何度もこの店に通った。加山さんのライブ、ワイルドワンズのライブ、そうでない日もこの店のハウスバンドが懐かしいグループサウンズを響かせる。
ワイルドワンズの「思い出の渚」を久しぶりに聞いた時には涙が出た。恋に恋していたあの頃の青春に戻った気がした。(私は今も青春だから、あくまであの頃の青春だ)まさに童心に帰った瞬間だった。
この店にはウィスキーのボトルキープを欠かしていない。いつでも童心に帰れる店なのだ。
そのオーナーの加瀬邦彦氏が先般亡くなった。74歳。咽頭がんで声帯を除去し、声が出せなくなったことからうつ状態になったらしい。自殺だったという。
私は、氏と親しいわけではないが、店では何度となく言葉を交わした。彼は芸能人らしくない人柄で、とがった印象もなく、誰とでもにこやかに普通に話してくれた。ライブの合間の話も決してうまくはないが、ごく普通の頼れる善人のおじさんだ。ワイルドワンズがメンバー皆還暦を超えてもグループとしてやっていられるのは、氏の人徳のおかげだと思う。そのことを話したら、本気で照れていた。
12弦のエレキギターを、足を開いて体を反らせながら弾く姿は実に格好がよかった。あの姿こそが、私の弾けなかったエレキギターの憧れの姿、童心である。「思い出の渚」「青空のあるかぎり」「夕日とともに」「花のヤングタウン」「愛するアニタ」など、子どものころから今も変わらぬ憧れのサウンドだ。
亡くなったことをインターネットで知り、その後テレビで見た。ショックだった。
デビューから49年、ワイルドワンズを再結成してくれて、今日まであの歌を聞かせてくれた。ケネディハウスを運営してくれた。童心に帰れる場を与えてくれた。そのことに本当に感謝している。
通夜に参列した。芸能人の葬儀など初めてのことだ。私と同年代のファンが100名ほど来ていた。焼香だけのことだったが、これもけじめと思った。
加山雄三氏のコメントが、新聞に出ていた。
加瀬へ
本当にショックで、今はどうやっても心の整理をつけることが出来ない。
同じ茅ヶ崎に育って、俺の幼馴染といったら加瀬、お前しかいないんだよ。それに、想い出がたくさんありすぎる。
最初に君がギターを教えてくれって言ってきた時、こんなに覚えの悪いやつはいないって思ったけど、その後ワイルドワンズを結成させ、いろんなアーティストに曲を提供したり、プロデュースしている君を見て、自分の事のように、本当に嬉しかったんだよ。
君はグループサウンズという日本の音楽の歴史に、多大な影響を与えたミュージシャンの一人だと思う。友人として心底誇りに思っているよ。
ワイルドワンズはメンバーみんなが仲良く、一緒にツアーを回ったり、共演したことも数え切れないほどあったよな。
考えてみれば、こういう音楽仲間がいることが自分にとって一番の幸せだったんだなと、今改めて実感しているよ。
加瀬、俺より先に行くなんて順番が違うだろ。
また一緒にギターを弾いて音楽やりたいよな。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )