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2015 年 7 月 5 日

困った人 - 新幹線車内焼身自殺事件に思う

 先週、新幹線の車内で焼身自殺をした事件があった。
 新幹線では、かつて走行中に非常コックを操作してドアを開け、飛び降り自殺をした人がいたが、ガソリンを撒いて火をつけるとは前代未聞の出来事である。しかも、本人ばかりでなく、たまたま同じ車両に乗り合わせた女性が一酸化炭素中毒で亡くなった。何ともやりきれない。私も新幹線にはよく乗るので、不安を感じる事件である。
 先の事件から、非常コックを操作しても、高速走行中にはドアは手で開けられないように今は改造されている。しかし、ガソリンやマッチを持ち込ませないという対策は、容易ではない。飛行機のように、一個ずつ手荷物検査をして、一人ずつボディチェックをするわけにもいかないだろう。今後の議論を呼びそうだ。

 報道によると、今回自殺した人は71歳の男性で、生活苦が動機だという。それにしてもなぜ、新幹線の車内だったのか。私の知人は「困った人だ。森の中ででもやってくれればいいのに‥‥‥」などと言っていた。多くの人はそう思うだろう。私もそう思う。他人に迷惑をかけることはよくない。
 私はそのことに詳しくはないが、今回の件で亡くなった方への賠償、新幹線の車両についての賠償、新幹線を止めたことへの賠償など、この人の相続人や親せきなどの関係者には相当の額の請求がいくのだろうか。
 それにしても、なぜ新幹線車内だったのか、人の命が失われたことでもあり、興味本位に論じるわけにもいかないだろうが、この不可解な動機の解明には、専門家の判断を待ちたい。

 この人は、比較的最近まで、会社勤めをしていたのだともいう。最近は生活が苦しいことを、親せきに相談していたようだ。思うような年金が受給できず、近所の人には不満を漏らしていたとも。
 その時々で、同僚や関係者と、また相談や不満を訴えた人との間に、どのような会話があったのか。周囲の人は「まさか、そんなことをするとは思っていなかった」と言うだろうが、その「まさか」が起きるのが人間社会である。事前に相談を受けた人の責任を論じる気持ちは全くないが、その人たちは今回の事件はいささかショックだったに違いない。あの時こう言っていれば、との後悔もあるのではないか。
 人とのコミュニケーション、話すことには、その都度、真剣勝負が求められる。言葉はその人の精神そのものである。私も軽い気持ちで発言して、誤解を受けることがある。人のことは言えないが。どのような状況でも、気持ちを込めて会話をしなければならない。

 私の尊敬するM先生が、かつてこんな話をしてくれたことがあった。先生もある本で読んだのだそうだ。
 アメリカのサンフランシスコに、ゴールデンゲートブリッジがある。サンフランシスコ湾の入り口にあり、相当な高さの巨大なつり橋である。一方は湾の向こうにダウンタウンのビル群、住宅地が見える。反対方向は太平洋、広々とした海である。
 この橋ができてから、飛び降り自殺をした人は100人を超えるという。この橋から自殺を図った人のうち、海側に飛び込んだ人はいないのだそうだ。人間社会に嫌気がさし、それを恨んで死を選ぶなら、人気を感じない方向に行けばいいのに、街が見える方向に飛びこむ。“人は最後の最後まで、人を感じていたいものなのだね”と、先生はしみじみと語っていらした。人を感じること、そのことにすべての価値を見出すと言っても過言ではないように思う。

 今回のこの人は、若い時に演歌歌手を目指して上京した経歴があるのだという。演歌といえば「縁歌」「宴歌」「艶歌」「援歌」とも書き、すべて人とのつながりがモチーフになっている。まさに“人の情”を歌ったものだ。そこには、人に対する人一倍の興味があったはずだ。
 人は人とのつながりのなかで生きている。人の存在に包まれてこそ幸せを感じる。なぜこの人は、新幹線の車内だったのだろうか。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )