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2015 年 8 月 19 日

人生の達人 - 尊敬するM氏との会話

 私の尊敬する人にM氏がいる。兵庫県に住んでいる。すでに会社を辞められ、地元で暮らしておられる。お目にかかりたく、1年ほど前に篠山市に訪ねた。
 なぜ、1年前の話を今書きたいと思ったのか。感動的な話なのでいつかは書き表したいとは思っていたのだが。

 きっかけは、私の母である。
 実家の母は、80歳台。一人暮らしである。住んでいる実家は、まるでゴミ屋敷のような感覚だ。テーブル、カウンター、棚、床、所狭しと、何かが積まれている。何かというのは、私にはそこにあるものが何か分からないからだ。もっとも、本人も何かはわかっていないだろう、メモや冊子、がらくた。チラシの裏に書かれたメモなど、いつのものか、何の意味があって書いてあるかも不明だが、捨てると猛然と叱られ、ゴミ箱に入れてもいつの間にかその位置に戻っている。
 この状況は、本人も汚いと思っているのだろう、その上を風呂敷などで覆ってしまうから、その上にまた溜まる。
 例えば、テーブルは4人が食事できる広さがあるわけだが、食事をするときはそのごく一部、20センチ四方の場所だ。その他のスペースは、一面何かが積みあがっている。そういう具合だから、部屋のあちこちが何かに埋もれ、その上に埃が積り、私は生理的に嫌悪を感じる。

 そんな状況を見るにつけ、ふと、M氏との会話が思いだされたのだ。以下、その時の会話を要約する。
 人生、必ず老いる。老いる過程は、捨てることであるべきだ。人生は、終わりがよくなければならない。始めが肝心というが、終わりが幸せであることが一番だと、今、定年退職してしみじみ思う、とM氏はおっしゃった。
 もちろん、氏は会社にいらしたときに、汚点を残したわけではない。むしろ、功績は他の社員のものとは違ったし、私は教えられることがたくさんあった。素晴らしい人格の持ち主なのである。

 M氏の友人のお母さまが亡くなったという話。
 この方の死後、家族がその実家に遺品整理に行くと、家の中のものはそのほとんどすべてが処分されており、残された家族に渡すものには、その一つひとつに名前がつけられて置かれていたという。財産になる金銭的遺産は寄付されていて、後に争いになる可能性のあるものは、一切残さずに整理されていたのだそうだ。
 この方は、一人暮らしが長かったのだそうだが、自分がいつ亡くなるか、もちろん分かっていたわけではない。しかし、そう遠くない時期に人生が終わることを直視し、時間をかけて一つひとつを整理したというわけだ。これこそが人生の達人だ、感動したと氏は語った。

 老いてなお、自分を主張する人も多いという話。
 会社を退職してもなお、昔の後輩や部下との関わりを求め続ける人がいる。用もないのに、昔の仕事仲間、特に部下、後輩を探し毎週のように声をかける、何とも浅ましいことかとM氏は言った。
 それは時に,後に続く者を混乱させ、迷わせることになる。このことの愚かさに気付く人は少ない。確かに、世の中には「昔は‥‥‥」「俺たちの時代は‥‥‥」などと展開するタイプが少なからずいる。
 人と別れ、自分の過去と分かれることは、確かに辛いことだ。しかし、いつかは別れなければならない。人も、仕事も、物も。それが老いることである。老兵は消え去るのみ、それが人生だ。老いては、若い人のやることをあたたかく見守るだけでよいのだ。余程の欠点があれば、どうしてそうなったのかを聞いてやればよい。そのことで本人が気づけばそれでよいのであって、気づかなければそれはその人の人生だ。どうしろとか、こうすべきだとかは、余計なことだ。忠告のつもりでも意見や結論を言えば、本人はうまくいかなかったときに、そのことを忠告した人のせいにするだろう。

 人生をどう終えるかという話。
 M氏は言った。最後は、すべてのしがらみをすべて捨てて、自分のことを知らない人ばかりの場所で、例えば、発展途上国の電気も来ないような、日本人が一人もいない場所で静かに暮らすことが理想だと。現地の人が、この人は誰なのか、どこから来たのかも知らない場所で、最後は亡くなったから葬ってやろうと、手を合わせてくれればそれでいい。それが理想だと。
 なるほど。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )