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2015 年 10 月 18 日

東京ヤクルトスワローズ優勝 その2 - なぜヤクルトファンでいるのか

 東京ヤクルトスワローズが、クライマックスシリーズでG軍に勝った。相手ファンには申し訳ないが、こんなに気分のいいことはない。私には、いくら応援してもBクラス、その時代のファンのDNAがある。まあ、野球のことですから許してください。

 2001年の優勝、日本一から、早くも14年。ファンとしては今年の優勝はないと思っていた。打者のコマ不足、何より投手のコマが少ないと思っていた。
 前回の優勝から、岩村選手、青木選手のような好打者も出たが、彼らはその後大リーグへ移籍した。途中では、ラミレス、バレンティンなど、いい外国選手もいたが、打線がつながらなかった。そして、去年まで2年連続最下位。
 それが、今年は実力を発揮した選手が多かった。一昨年、去年あたりまでは、バレンティン選手が一人気を吐いた格好だったが、今年は故障で戦列を離れスーパースターがいなかった。まさに各自の持ち味を活かした、チームワークでの戦いだった。

 ピッチャーの不足と思われたが、35歳、身長167センチと野球の選手としてはかなり小柄な石川投手が頑張った。投げる球も130キロ台が多く、今のエース級の投手としては決して速くない。しかし、コントロールと球種の多さで、今年は2桁勝利した。小川投手も活躍したし、舘山投手も復帰した。外国人選手も、ロマン、オンドルセク、バーネットの押さえの各投手が、期待以上の出来だった。
 打者は、去年ブレイクした山田選手が、今年は3割以上の打率、30本以上のホームラン、30以上の盗塁数のトリプル3を達成した。川端選手が打率首位、畠山選手が打点首位、バレンティン選手が怪我から復帰した。

 ヤクルト球団が好きになり、ずっと好きな理由の一つは、トレードが少ないことである。選手の多くはヤクルトに入団し、ヤクルトで育ってきた人たちである。球団の方針として、他の球団よりトレードが少ない。かつては、原則としてトレードをしない時期もあったと聞く。成績が悪くても、他の球団から一流選手を抜いてくることはしない。外国人選手も、日本に来て初めての所属がヤクルトである選手が多い。他球団から移籍した人もいるにはいるが、多くはその球団の看板選手ではない。自由契約になったり、FAを取得したりしてヤクルトに入った選手である。

 その点、私が最も嫌うチームはG軍だ。金に任せて、毎年のように他球団から一流看板選手を連れてくる。かつては、江川選手を政治力で獲得したり、ここ10年ほどでもファイターズから小笠原選手、ヤクルトからラミレス選手、ベイスターズから村田選手など、全盛期の4番バッターの選手をさらっていく。それらの選手を応援していた、そのチームの少年ファンはどう思うだろうか。子どもの夢を破るようなトレードはすべきではない。野球は子どもの夢を育むものであってほしいものだ。そのチームの看板選手は、金銭も含めて簡単にトレードすべきではない。

 今年のヤクルトの優勝メンバーも、山田、川端、畠山、石川など、多くは生え抜きだ。かつての、松岡、若松、古田、高津、宮本なども、ヤクルト一筋。ちなみに、今年優勝に導いた、真中監督、高津、伊藤両ピッチングコーチなど、伊東、池山、土橋、水谷、伊勢各コーチ他、多くは現役時代ほぼヤクルトである。

 アットホームなチームであるせいか、ヤクルトの選手は人柄がよく、親しみやすい印象がある。あまり派手なパフォーマンスをする選手もいない。ヒーローインタビューもどこかはにかんだ印象の選手が多い。神宮球場では、施設の構造上の問題もあるが、野球場とクラブハウスの間の通路で選手に会える。タイミングによっては、サインもしてもらえる。

 2001年の若松監督の優勝インタビューで「ファンの皆様、優勝おめでとうございます」と叫んだ一言は、今も心に温かく響く。思わず出てしまった発言だったのだろう。自分も嬉しいだろうが、ファンの気持ちに寄り添うこの人の人柄をよく表わしていた。もちろん「応援、ありがとうございます」よりも、ファンは大いに嬉しい。
 ある試合で勝利した時のヒーローインタビューでは、当時の古田選手が「ごめんなさい。すみません」と何度も謝っていた。活躍を祝するインタビューなのに「ああいうプレーをお客さまに見せてはいけません。本当にすみません。あの場合こうすればよかったのです」と言いながら、自分のプレーを解説していた。こんなインタビューは、他の球団の選手からは聞いたこともない。

 48年間、一つのチームを応援できることの喜びを秘めて、さあ気合いを入れて今年の日本シリーズを応援するとしよう。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )