2015 年 11 月 9 日
母の介護 - 認知症
母が認知症になったようだ。「ようだ」というのは、私は認知症についての正確な知見を持ち合わせないことと、医師の正式な診断をまだ受けていないからだ。都立病院で診察とMRIを受けているので、もう少ししたら正式に医師の判断が下される。
母は84歳。わけの分からない発言はこれまでもあったし、数年前から実家の部屋はなかばゴミ屋敷状態、ゴミを捨てようとすると大騒ぎで「やめてほしい」と懇願する始末で、それなりのことはあったが、8月初旬からいよいよおかしくなった。
ある日、銀行のキャッシュカードが見当たらない。捜索の結果、普段着ることのない古い衣服に縫い付けられていたのを家内が見つけた。なぜこんなところに?要するに大切なものだからなくないように縫い付けたのだが、そのことを忘れてしまったので、探すのが大変だったのだ。
エアコンや電灯のスイッチのオン、オフが分からなくなった。玄関のカギをあけることができない。ふたを開けたままウォッシュレットのボタンを押すので衣類が濡れる。話の内容は分かるが、脈絡がなく会話は噛み合わない。昼夜の感覚がないようで、夜中に何度も電話をかけてくる。したがって、いつ何を食べたかの記憶があいまい。足腰が弱ってしまい、倒れると自力では立てない。子どもの顔は分かるが、孫は時々思い出せない。「お金を取った」「あったはずの○○がない」と妹が疑われる。などなど。
私の妻が毎日のように行って介護してくれた。週に2回のデイサービス、夕方のヘルパーさんの訪問を受けたが、わずか1~2か月の間に独居は無理なこととなった。週に1度くらいしか見ていない息子の私にとって、それは突然といってもいいほどのことだった。悲しいことながら、まさに人間が壊れていく姿であった。
11月初旬を迎え、8月から約3カ月が過ぎた。母は、今老人ホームにいる。自宅にいるよりも表情は穏やかになったが、ホームでは何をするわけでもない。ボーっと座っているだけである。会話はするが、脈絡はない。暑い、寒い、トイレに行きたいなどの訴えはあるが、それだけのことだ。テレビを見るわけでもない。話しかけてくるヘルパーさんに、愛想を振りまくのみである。
思えば、32年前に突然、夫を亡くし、私、妹が結婚して所帯を分けてから、30年ほども一人暮らしである。独居で住まう老人は、今や珍しいことではないが。自宅に一人でいては、刺激も少なかったろう。悲哀を感じるが、申し訳もないことだ。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )