2016 年 2 月 14 日
私の働き方 - やるだけやれば、後は‥‥‥
60歳になって、心のどこかで今までの自分を反省する。自分の人生は、これでよかったのだろうかと。そのことは家庭においても、仕事においてでもある。
仕事上で自分に大きな影響を与えたのは、やはり最初の就職先、藤和不動産である。
先日、TBSテレビのサンデーモーニングに、サッカー解説者のセルジオ・越後氏が出ていた。氏の紹介のコーナーで、藤和不動産サッカー部時代の、三菱重工業との試合を流していた。当時、藤和不動産サッカー部は、実業団の1部リーグだった。フリップにもナレーションにも何度も藤和不動産の名前が出た。嬉しかった。
私は、昭和54年(1979年)に入社し、本社のSD第2事業部に配属された。SDはスペースデベッロプメントの意味で、土地を高度利用して空間を開発しましょうという趣旨でマンションの企画、開発、販売を行っていた。5か月で大阪支店名古屋営業所に転勤になった。本社の半年は、何が何だか分からないままに、上司について仕事をしていた。上司についてお酒も飲みに行った。いつも誰かと一緒、ある意味で大きい組織の一員であることが嬉しかった。与えられたことを精一杯やった。それで満足だった。
ところが、名古屋営業所は人が少ない。最初のプロジェクトは、南区道徳町マンションで、一人担当。一緒にやる上司は、いざという時には助けてくれるのだが、逆にいうと余程の問題が起きない限り、多少のことは一人でやる。若い未経験社員の立場として、本来は一々上司と相談して決めるべきかもしれないが、そこは私の性格の悪さ、常識のなさである。余程のことがない限りは一存で即決し、後から報告するスタイルを通した。担当者としての自負でもあった。時には小さな問題になったこともあったが、そのことで決定的な問題になることもなく、それでよし。それを許したのは、営業所長だったM氏。結果さえ出せば、何をやってもいいというタイプだから、やりやすかった。お酒もよくご馳走してくれた。この人は、その後転職した。私も高給で誘われたが、今の職を変わる必要を感じなかったし、藤和不動産が好きだったので付いて行かなかった。
その後、営業所は支店に昇格し、支店長にK氏が来た。この人は、結果を出しても、良いとも悪いとも言わない。よく残業して一人で何かを考えているようだったが、何を考えているのかよく分からない人だった。時に、こちらが飲み会を終えて会社の前を通ると、深夜でも電気がついていたことがよくあった。会議は皆の仕事が終わってからやろうとか言いだして、夜8時集合で、終わるのが11時はざら。午前0時を過ぎたこともあった。個人の実績を言わされて、本人はアドバイスをしているつもりなのかもしれないが、何を指示しているのか、叱っているのかほめているのかも伝わってこない。ほとんど不毛な議論であった。これは日中の仕事以上に疲れた。
この人には、時々姉を名乗る人から電話があった。社員の間では、お姉さんではないとの噂だったが真相は不明だ。この人とは、人間的に距離を置きたいタイプだった。家庭を大切にしろ!
名古屋でも本社に転勤になってからも、現地を見に行くのでそのまま帰宅することも日常で、仕事は自分の一存で計画し実行するのが当たり前になっていた。用地交渉など地権者の都合に合わせなければならないので夜の仕事も多く、直行直帰。東京本社の開発本部のこの時の上司M次長も細かいことは言わない人だった。
あるときM次長から、手書きの資料をワープロで打って清書しろと言われた。お客さまに説明する資料で、A4の用紙にまとめてプリントアウトする指示だったが、あえて文字を大きくしA3でプリントした。休日出勤し、指示になかった表紙も付けたら上司に喜ばれ、結果的にお客さまにも喜ばれた。説明する際に、細かい文字のA4の用紙より、大きな文字のA3のほうが見栄えがすると思ったのだ。誰にも相談せず、私の一存で勝手にやったことだがこの時も自分で満足した。このころから、自分で見つけた仕事は楽しかったが、指示されて行う仕事は嫌になった。評価されなくてもいい、自分で自分の仕事に満足感を覚えることのほうが楽しかった。
藤和不動産では、いわゆるノルマはなかった。努力目標を言われたことはあったが、それを気にしたことはあまりない。私は悪い社員だ。ノルマや目標など、所詮は他人の価値観である。自分は自分の価値観で生きる。それは、日々納得のできる一日を過ごすこと。私は決して楽に仕事をしていない、やるべきことは全身全霊でやっている、そのことで結果を残せばいいわけだ。途中は、一々干渉しないでほしい。結果が出なかったら、それでそれは謝る。大切なことは、納得のいく仕事をやったという自負、私を信じてください、というスタンスだ。これは、中学時代に憧れた森田健作氏の「青春に悔いはないか」という歌に影響されているのかもしれない。
仕事は結果がすべてだ、そんな考え方は甘い、と言われればそのとおりかもしれないが、藤和不動産ではそれなりの実績を残した自負はある。
社会人として、初めの会社で数年間そのような経験が続いた。これが今の私の働き方になっている。自分が納得できる、これは!と思う仕事を取りにいく。嫌な仕事はしない。しかし、やる以上はその仕事を好きになる。こうしたい、こうなったらいいと、自分でイメージをつくる。一つひとつ、一時ひとときを一所懸命にこなしていく、それは即ち生き方につながる。生き方こそが働き方である。
後になって、一所懸命にやったのですが‥‥‥、と言い訳をする人がいるが、一所懸命にやるなんて当たり前のことを理由にするなど論外だ。うまくいかなかったら謝ればいいそれだけのことだ。完全な人間はいないのだから。
もちろん、私も人間だ。人の評価は気になる。なるべく言わないようにするが、言い訳をすることもある。成果が出ないと、それはそれで落ち込む。その積み重ねが人生なのだろう。悩ましい昨今である。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )