2016 年 3 月 16 日
横浜のマンション問題 その3 - 職人さんのモラル
横浜のマンション問題。前項でこのような事象が、もし他でも起きたらどうなるかを危惧した。そうしたら住友不動産の物件でも発覚したという。基礎の梁にスリーブを切ってしまったという。現場でありがちな施工だ。私も経験がある。もちろん断ったが。
横浜の問題のそもそもは、データの改ざんである。データの改ざんと、建物の瑕疵とは直接の関係はない。だから、杭さえ規定の位置まで届いていれば、実態はそれで良かったわけだ。今回の場合は規定の位置まで届いていないことを隠すために、他の杭のデータを流用したのだから、データの改ざんはもちろんよくないことだが、本質的には不完全な施工をしたことが問題なのだ。そうなると現場にいてその施工をした技術者、職人さんの責任、モラルの問題になる。
実際の建築工事現場では、ゼネコンの担当者がそれぞれの作業をジャンルに分けて、作業自体は下請け会社が請け負う。場合によってはさらにその下請け、さらにその下へと発注され、その会社の監督がさらに実際に仕事を行う職人さんに指示する。結局その作業をするのは職人さんである。そこから作業をやったという報告が、順次上にあがっていく。発注者である不動産会社の担当者や工事を請け負った元請け会社の現場監督が、すべての作業を見ているわけではない。だからこのような事件が再び起きる可能性は否定できないのだ。
台湾では、地震で倒壊した建物の本来コンクリートで満たされていなければならない部位からブリキの缶が出てきたという。設計指示書には、缶を入れてもよいなどとは、絶対に書いてなかったはずで、現場の監督が指示をしたか職人さんが勝手にやってしまったことだろう。
木造住宅であれば、木の組み方など途中でいくらでも確認できるが、コンクリートは一度固まってしまえば中がどうなっているか、よほどの検査をしない限りはほとんど分からない。
現場の施工者、職人さんが「正しく施工しました」と書類を出してくれば、建設会社、不動産会社の担当者はそれを信じるしかないわけで、信頼関係の上に成り立っているのが建築工事現場なのだ。
私も社会に出て、建築現場で経験したことだが、職人さんはまさに職人さん、技術そのもので生きている人である。職人さんは物づくりへのプライドは高い。理屈でものを言うと嫌われる。「現場はそうはいかないよ」「だったら自分でやってみな」となる。反対に理屈ではうまくいかないことでも現場で工夫して何とかしてくれる。設計、指示どおりではないけれど「こういうやり方のほうが、楽に施工できる」とか「使う人にとっては、このほうが喜ばれるよ」などというアドバイスをしてくれる。ただし、言い方は無骨で怒っているのかと思われることもあるし、何も言わずに勝手にやり方を変えてしまうこともあるのでコミュニケーションは要注意だ。私も何度か失敗がある。今は反省しているが、人間関係ができるまでは腫れものに触るかのようだった。
職人さんは自分のやった仕事そのものが評価され、その人自身が評価され周囲から感謝されれば、良い仕事をしてくれる。しかし、お金や工期に追いまくられ、理屈で指示され、予定通りいかなければ減点評価を受けることになり、いくらいい仕事をしても質的な評価が薄くなれば、よりよいものを作ろうという気概は失せる。“やればいいんでしょ”という気にもなって、よりよいものを作ろうというムードにはならない。
分譲マンションの場合、一般的に建築コストはぎりぎりまで削られ、引き渡し時期が決められている。遅れると契約違反になり、購入者への違約金が発生する。私も現役時代それが一番気になったことだ。そのようなことが背景にあって、何が何でも工期を守らねばならない事情から、何らかの不都合なことが修正されることなく“このくらいならいいだろう”という安易な行動になったのではないだろうか。
今回の事件の記者会見で、親会社の役員から「まさか現場でそのようなことをするとは思わなかった」との発言があった。マスコミから“無責任だ”との批判を浴びた。誰が言ったかは忘れたが、あれは正直な話なのだ。私は共感が持てた。だからこういう事件があっても良いと言っているわけではない。建築工事現場は職人さんのモラルによって成り立っているのだ。それは100%チェックしなければならないのは理屈だが、すべてを完全にできるものではないのが現実。100%チェックしようとすれば現場は窮屈になり、膨大な人件費につながる。そのチェックをチェックする人が必要になり、そのまたチェックをチェックすることになる。所詮は人のやることだから、理論的にミスはゼロにはならない。
日本の住宅は20年もすれば、住宅としての価値はなくなるという。特に木造一戸建て住宅の場合、20年もすれば土地の代金から住宅を壊す費用を差し引いて不動産取引が行われる、それがなかば当たり前という考え方である。新築至上主義が政府の政策になっていることが背景にある。新しく住宅を建てましょう、新築を買いましょう、そうすれば税制などで優遇を受けることができますよ、というわけだ。
使える住宅が20年もすれば価値がゼロとは本来おかしい。余程痛んでいれば別だが、古いからというだけで壊すとはもったいない話だ。孫子の代まで使う、いつまでも使う前提であれば、職人さんも誠意を込めて仕事をするに値する。そんな建築を依頼されれば職人さんもプライドをもって仕事をするはずだ。
建築は人を温かく包み、人を幸せにし、地図に残る。国の根幹をなす仕事なのだ。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )