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ブログ

2016 年 6 月 7 日

お言葉でございますが その6 - ネットが心を破壊する

 以前にも、言葉の問題を取り上げた。その5にインターネットの書き込みについて、あまりに汚い言葉の羅列が多く、他人への優しさが感じられないことを憂いた。インターネット上の書き込みは、今や“残酷”が当たり前の実態だ。
 私は、インターネット上の書き込みについて、いちいち読む必要を感じない。汚い言葉を読んでいると、こちらの心まで汚れそうな気分にもなるので、あえて読まないようにもしている。しかし、Yahooニュースを見ると、すぐ下につぶやき欄があり、書きこまれたコメントが否応なしに目に入ってくる。

 先日、私の利用するJR京浜東北線が、人身事故で1時間半あまり不通になった。事故は、大井町と大森の間の複々線区間で起きたらしく、並行して走る東海道線も止まった。朝の7時前のことだったから通勤客には相当の影響が出た。私の事務所では、出勤時間を一般の会社より30分ほど遅く設定している。これも社会貢献の一つと思ってのことだが、8時30分ごろに利用する私の通勤にもそれなりに余分な時間を要した。
 ところが、その日は10時台にも別の駅で人身事故があり、また不通になった。私はそのことを会社のパソコンで知った。Yahooニュースである。

 そこに書かれていたつぶやきの一部を紹介する。
「おーい、今日の京浜東北線、呪われているんじゃないですか、また上野で人身って」
「一日に人身2回とか、ほんとふざけないで」
「人身事故っていってもぴんきりだけど、ガッツリいったんだろうな」
「どこにも出かけられない。昨日シマウマ観に行っておいてよかった」
「始発からこれまででもう人身事故2回とか、やばくないですか京浜東北線、笑」
「ふざけんな。ほんと、京浜東北線死ねよ。死んでるか。大学行くのやめようかな」
 解説の必要もないだろう。自己中心的、品性のなさ、これを書き込んだ心根の浅さ、これは心が破壊された人間の言葉だ、とは言い過ぎか。

 確かに電車が止まることは迷惑である。しかし、現実に事故は起きる。自分で努力して改善できるなら、その立場に立ってから何でも言えばよい。つまり、お互いに気をつけようよ、と。そうでなければ、一歩下がって冷静に事態を判断、対応するしかあるまい。
 1日に2回も事故があった。そのことで苦労をされているのは、あなただけではない。それで大学に行くのをやめるなら、そんな大学は初めから行く必要もない。
 間違いなく、このことで心に傷を負ったのは、人身事故に巻き込まれた人の家族、知人である。苦労しているのは、現場で事故処理をしている現場の社員である。この書き込みをするレベルのお客が他にもいるとすれば、それに対して詫びて、事態を説明している駅員である。

 人身事故という言葉も、無味乾燥な印象を与え、感情を排する言葉である。ちょっとした接触事故から、自殺行為まですべてを網羅してしまう。心がこもっていない言葉にも問題があるとは思うが、こういった報に接して、書き込みとは違う感性はないのだろうか。少なくとも、果たして事故は過失だったのか故意だったのか、その方は怪我をされたのか亡くなられたのか、真実を知りたいという気持ち。過失であれ故意であれ、罪を償っていただき次回から気をつけてくれればいいが、もし故意であれば、そうせざるを得なかったその人の人生はいかなるものだったのだろうかと心を痛める。この度のこととは別だが、1カ月前に東急大井町線で女子中学生が手をつないで、電車に飛び込んで亡くなっている。何があったのか。特にそれを調べた訳ではないが、女性を子に持つ親として、大いに悲しい出来事だった。

 鉄道の不通、遅延において、人身事故と聞く度に心が潰されそうになる。電車が止まったことの迷惑、いつ動くかの気づかいももちろん現実にあるのだが、せめて怪我で済んでくれればと思う。まったく不知の人に、思いを寄せてしまう。私は変わっているのだろうか。少なくとも「笑」などと書き込む気にはなれないのだが。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )