TOP 1つ戻る

ブログ

2016 年 8 月 29 日

責任の取り方 - 東京都知事の辞任

 この原稿を書いている時は、東京都知事選挙、オリンピックも終わり、世間はM都知事の辞任など何事もなかったかのように平成に戻っている。私もある意味で、M氏の辞任については、もういいかと思うが、だからこそ多少は冷静になれることを思い、今回の騒動を考えてみたい。

 ここ2代の東京都知事は、ある意味、鳴り物入りで選挙を勝ち抜いて当選した。そして、結果的に政治と金の問題で辞任に追い込まれた。辞任してからは、ほとんどマスコミにも登場しなくなった。なかば、忘れられた存在になっているわけだ。
 しかし、解明されていないことは解明されていないわけで、M氏は辞任しようとしまいと説明すべきことがあるのなら、その責任が消滅したわけではない。だから“今もなお、説明すべきだ!”というのが本稿の趣旨ではない。責任の取り方とその周辺についての雑感だ。

 今回の騒動の発端は、マスコミが取り上げた知事の公用車の私的利用にあった。それから、別荘の使用頻度、それが湯河原だったことの災害リスクへと移っていった。知事としていかがなものかという論調だった。それは違法ではないのだろうが「別荘では足を延ばして温泉に入れる」「体調を整えて執務することが都民への責任」などと言いだすと、それはほとんどへ理屈に聞こえた。小学生の6人に一人が1日2食しか食べていないという時代に、そういう言い分はいかがなものかと、私も腹立たしい気持ちだった。

 騒動は、別荘近くの飲食店の領収書などに発展していった。結局、最後の局面では、千葉のホテルに家族で宿泊した費用が妥当かどうか、そのホテルで関係者と会議をしたというがその関係者が誰なのかが問題とされた。ここまで来ると都政の話ではなく政治資金の使い方の話になった。これらをある議員が、東京都知事としては実にセコイと指摘し、これをマスコミが追認した。
 「違法ではないが不適切」などという、法律的には納得できるのかもしれないが、世間的には不可解な議論を持ち出さざるを得ない知事の立場、そういう環境では、マスコミは彼を辞めさせるまで安心して叩くことができたわけで、疑惑のM氏は、最終的に本人をかばう者が一人もいない状態になっていった。マスコミはそうすることが正義とでもいう勢いだったが、その姿勢は一人の弱い者をいじめる姿にも似ていた。

 ここで疑問なことは、あれほどまでに、これでもかこれでもかと、テレビをつければ取り上げ、新聞も書き立てていたのに、辞任と同時にほとんど取り上げなくなったことだ。本稿の冒頭に書いたとおりである。
 辞めた者にムチを打ちかけることはすべきではない、政治家は辞めることで責任を取った、ということなのかもしれないが、庶民感覚としてあまりに違和を感じるのは私だけか。
 今回の騒動の責任は、M氏にあることは間違いのないことだ。辞めても説明すべきことは、引き続き説明すべきである。しかし、その責任をきちんと結末まで着けさせなかったのは、マスコミの責任でもあると思う。
 もっとも、マスコミは私たちが興味のあることしか流さない傾向があるので、結局のところ責任は私たちにあるのかもしれない。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )