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2016 年 10 月 26 日

人への接し方 - 子どもを叱る親

 私には娘が2人いる。すでに28歳にもなるので、立派な大人なのだが、親にとってはいつまでも子どもである。娘が家にいれば安心するし、娘の帰宅が遅くなれば心配もする。親バカである。
 そもそも、私は子どもが好きなのだろうと思う。ずっと以前から親戚の子どもと遊ぶのが好きだった。学生時代には夏休みなどに行われる子ども会で、ボランティアをしていた。子どもたちと一緒にゲームをしたり一緒に遊んだりするだけなのだが、けがをしないようにとか、仲間はずれを作らないように、と気を配る役だ。

 先日、新千歳空港のロビーで時間調整をしていたら、若い夫婦が幼い女の子を叱りつけていた。父親は派手なピアスを着けていて茶髪。母親もしかり。風貌は私の好感の範囲外で、今どきの若い夫婦である。子どもは5歳くらいであろうか、それは素直な印象のかわいい子だ。
 どうやら、子どもがベンチにおとなしく座っていないことを問題にしているらしいのだが、私にはその子がそれほど迷惑な行為をしているようには思えなかった。その親にしてみれば、自分の指示どおりに、おとなしく座っていないことが腹立たしく思っているように見えた。

 その二人の親の形相が怖い。言葉づかいが荒い。まるで、大の大人と大人とがけんかをしているかのような敵視の目だ。あたたかさ、ほほえみなど、まるで感じない。父親はまるでチンピラのけんかの風、母親も吐き捨てるような言葉づかいと、ふてくされた表情に私には見えた。
 しばらくして、その子どもはおとなしくなったが、父親は「謝れ!」と許さない。子どもは、なかばふてくされて母親に向かって小さな声で「ごめんなさい」と言ったが、そのあと「だって、お母さんたち、謝っても許してくれないじゃない……」と続けた。その後、その場はあいまいに終わってしまった。父親は無視、母親はティッシュペーパーを出して子供の鼻をかんでいた。

 私は、嫌なものを見たなと思った。児童虐待とまではいかないが、子どもに大人の感情をぶつけてどうするのだ。子どもが嫌いなのか。いやそんなことではないのだろう。きっとこの親も、こういう叱られ方をして育ってきたのだろう。簡単に言えば、愛情いっぱいに、ほめられて育ってきた経験がないのかもしれない。
 本来、ほめる、叱る、正しい方向を示す、個人の立ち居振る舞いが社会の中でどのように見られているかを考えさせる、そのことを日常生活の何気ないコミュニケーションで身に付けさせること、これが家庭教育であろう。
 子どもは、子どもだ。感情を行動に出すことはある。しかも、相手は5歳くらいだ。感情を思うように出させることがあってもよい。親の話し方には、表情に明るさや微笑みをもってあるべきだ。その表情をもって叱ってもいいだろう。「そんなことをしてもいいのかな……」「もっといい子にしようね……」などと言って様子を見て、しばらくして指示に従ったら「いい子だね……」などと抱きしめてやるくらいの対応をしてもいいのではないか。ある行動をとることで、愛情の報酬が得られる。これが家庭愛ではないか。

 このかわいい女の子も、大人になって同じことをするようになるのだろうか……。
 朝から悲しい気持ちになった。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )