2017 年 2 月 5 日
僕は明日、昨日の君とデートする - 時のはかなさを思う
年始早々「僕は明日、昨日の君とデートする」という映画を見た。通称「ボクアス」というそうだ。若者向けの恋愛映画であると同時に、漫画本が原作の、現実的には起こりえないだろうストーリーの映画である。妻からは「最近、映画の選択が変わったわね」と言われ、娘からは「60歳を過ぎた男が、一人で見る映画ではない。笑える!」と言われた。
高校生や大学生に人気のある恋愛漫画を実写化したものなので、60歳を過ぎたオヤジが見て何になると思うかもしれないが、誰にも恋愛経験がある。自分にあんな時代があった、いや、これから先、自分にもあるかもしれないと思うとわくわくする。想像するのは自由でしょ。以前にも書いたが、私の映画を見る基準は、自分の人生にもあるかもしれない、である。
昨年に見た「君の名は」は、あまりに評判が良かったので後学のために見た。事前情報から、高校生の男女が入れ替わるなど、自分の人生にはあり得ない、ばかばかしい。大したことはないだろうと思ったが、いやいや、どうしてどうして。感動した。それから、アニメや青春の恋愛ものがバカにできなくなった、のかな。いやそうではない。今も昔も、自分には若い感覚があるのだと、自分で自分をほめてやりたい気分だ。
映画のストーリーは、美術大学に通う堅物な20歳の彼が、電車の中で同年齢の彼女に一目ぼれをして、付き合いが始まるというもの。京都の町を舞台に、若者の恋愛ストーリーが展開する。
しかし、その彼女は異次元の世界から来た人であることが分かる。彼女の時間は、現実とは逆に動くということなのだ。つまり、お互いに20歳である二人だが、彼は時が進むのだが、彼女は時が戻る。つまり、彼には初めてである二人の付き合いは、彼女はすでに知っていることなのだ。
二人の初めての出会いは、彼が5歳の時に池で溺れたときに、35歳だった彼女がそれを助けたときだった。その後、二人は5年に一度、30日間だけ巡り合うチャンスが来る。彼が10歳の時、15歳の時に、それぞれ30歳、25歳の彼女と接点があった。そして、お互いが20歳のこの時30日だけ接点があるときに出会い、恋愛する。5年後、彼は25歳、彼女は15歳になるので、実質的な恋愛はお互いが20歳のこの30日間だけなのだ。二人のラストシーンでは、30日目が過ぎる日の深夜、午前0時に、彼女は彼の前から消えてしまう。彼は、この世に一人残される。
一般的な恋愛物語は、出会い、知り合い、交際期間を経て結婚、その後、子育てし、子どもが巣立って、夫が定年退職して、夫婦で老後を送る、といったイメージだ。その間に、けんかもするだろうし、一度や二度は離婚の危機もあるかもしれない。
この映画は30日だが、現実の夫婦生活は一般的に50年といったところだろうか。私の父は56歳で逝ったから、母との結婚生活は30年に届かなかった。私は妻と結婚して30年だが、あと何年一緒にいられるか。30日だろうが、30年だろうが、人間にとって時間は有限であり、二度と戻らないのだということを、この映画は教えてくれる。いや、思い知らせてくれる。愛し合っている夫婦でも、いつかはどちらかが先に逝き、どちらかが残されるわけだ。
妻とも、子どもとも、社員とも、友人とも、いつかは別れなければならない時が来る。そして、それは自分の意思とは関係なく。人に対する思いを愛おしくさせてくれる映画である。バカじゃないの、などと言わずに、ぜひ見ていただきたい。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )