2017 年 4 月 1 日
人間としての幸せとは - かけがえのない友人
最近、読んだ本に書いてあったことについて。
自分を支えてくれる友人とは、いつでも会ってしゃべったり飲んだりする、そういう友人ではないのだという。もちろん何度でも会って、しゃべって、楽しい時間を過ごすこと、そういう友人も大切だ。それも否定はしない。でも、自分の人生にとって本当にありがたい友人とは、普段会っていない人ではないか、ということだ。
例えば、学生時代からもう何年も会っていない友人がいる。普段から付き合っていないのだから友人とはいえないほどであって、それは知人というべきかもしれない。でも、覚えていることがある。あの人は学生時代に輝いていた、夢をもってあの会社に就職した、そういうことを自分は知っている。実際の近況には詳しくないが、きっと今も元気でやっているだろう、などと想像できる人である。
思うところがある。
私には、小学校時代からの親友Y君がいる。向こうはどう思っているか分からないが、私には大切な友人である。頭が良いし性格もいい。彼は、東京大学の大学院から茨城県つくば市にある某研究所へ就職した。リモートセンシングという技術を使って人工衛星から地球の環境を調べる技術を開発し、実際に人工衛星を打ち上げた。ノーベル賞に最も近い男である。(私の周囲では、です。)
Y君とは、仕事の付き合いはまったくない。お互いに大学卒業以来、何度も会ってはいるが、総じていえば年に1回程度だろうか。普段から頻繁にというほどの回数ではではない。また、私は彼のことの多くを知っているわけではない。例えば、仕事の内容、彼の研究内容、そのことの苦労など、難しくて私に分かるはずもない。
それでも、ずいぶん前だが彼の職場(世界的に通用する研究所だぞ)を見学させてもらった。だから、職場のイメージを作ることができる。彼の結婚式の披露宴の司会、二次会の幹事をさせてもらった。だから奥様が清楚で美人で、多分ご家庭内ではこんな感じではないかということも想像できる。彼は、毎日勤務時間に関係なく、研究に没頭していることや、年に何度も海外での学会に出席していることも聞いている。お子さんのことや、私が小学生時代にお世話になったご両親のことも、断片的にではあるが知っている。
会うことは1年に1回でも、私は年に何度も彼のことを思い出す。
子どもの頃から今日までの様々な出来事や聞き及んだことから、彼の今の家庭のこと、仕事のこと、研究や学会でのことを想像する。もちろん、私の勝手な想像だ。実際とは違うだろう。
今、彼はどこにいるのだろうか。きっと忙しい日々を送っているのだろう。今夜も深夜まで研究に没頭しているだろうか。外国では、向こうの技術者と英語で侃々諤々の議論をしているだろう。学会の発表が終わり拍手喝采、スタンディングオベーションを受けているかもしれない、などとだ。
そう思いめぐらせることで、今日ここは自分も頑張ろう、もう少し原稿を書き進めよう、などと思えるわけだ。彼の誠実さを思うとき、こちらもいい加減な生活はできないと、自分を戒めることもよくある。私の場合は酒に弱いが、彼はそれにも強い。(いや、飲めないと言っているわけではありませんよ。私は酒の誘惑に弱いということです。本来の仕事を放っておいても、すぐに飲みに行ってしまうというので。反省。)
その彼も定年退職から1年が経ち、研究所の仕事に区切りをつけ、この4月から新たな立場になるという。某大学の教授職である。61歳にして、新たなことに挑戦するのだ。大学の教授であるから、新しい研究もするだろうし、論文も書くのだろう。年齢が40歳も違う学生を教えるのだから、そこにもまた様々な苦労と葛藤があるだろう。そんなことを想像しながら、私もまた新たな経験をすることができる。それこそが、人間的に磨かれていくことなのだろうと思う。
私には、Y君以外にも、そのことを想像できる友人が大勢いる。そう思うとき、そういう友人を持てたことへの感謝と幸せを感じる。
3月31日は、Y君の研究所での最後の勤務の日であった。あなたの友人であった、そのことがありがたかったという気持ちで、花束をお送りした。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )