2017 年 12 月 16 日
全くもって分かりません - 広島高裁の決定
広島高等裁判所で伊方原子力発電所3号機の運転差し止めの仮処分が言い渡された。伊方原子力発電所3号機は現在定期検査中で停止しているが、検査後の再稼働ができなくなるわけだ。
今回の決定の根拠が、阿蘇山の地下に十分なマグマがあり、近々最大級の噴火をする可能性が否定できないということである。その場合、大規模な火砕流が愛媛県にも流れ込む可能性が否定できないという。つまり、過去の噴火で火砕流が愛媛県に到達していないという証拠がないということらしいのだ。よって、伊方発電所の立地は危険だというのである。
私は、この理屈がまったくもって分からない。起きていないことは証明のしようがないわけで、それは空想の世界、スターウォーズの世界でしかない。
では、発電所を止めれば人々は安全なのだろうか。
この判決が指摘している噴火は、阿蘇山の9万年前の噴火を想定しているらしい。とてつもない昔のことだ。その当時と同規模の噴火の可能性を認めているのである。
もしそうなったら、九州全域はもちろん、愛媛県だけではなく山口県にも広島県にも火砕流は来る可能性を否定できないわけだから、そうなれば発電所が危険かどうかではなく、その地域に住んでいる1千数百万の人々は、申し訳ないが、ほぼ全員死滅するだろう。
その規模の噴火があれば、火山灰は北海道までも降り積もる。ある学者によると、関東地方でも数十センチは積もるという。そうなれば関東以西は当然それ以上になるわけで、鉄道、道路とも交通は完全にマヒ、浄水場が埋まるので水道は出ない、下水は管がほぼすべて詰まって使用不能、社会基盤は崩壊するだろう。死者は数千万人、避難すべき人も百万や二百万人では済まないはずだ。ちなみに、福島第一発電所の事故で現在避難している人は約7万人であり、まったく規模が違う。
つまり、そういう想定を始めるなら、九州はそもそも人が住んではいけない地域ということになる。伊方原子力発電所が安全かという議論が無意味である。
さらに、この裁定では再稼働を認めた原子力規制委員会の決定までも批判している。国の最高峰の学者、技術者の決定について、一裁判官がそこまで覆せる根拠をもっているのか、ポピュリズムを前提とした感情論が含まれていないか。大いに疑問を感じる。
原子力発電所のプラントは、基本的に40年または60年の使用である。9万年前の噴火がいつ起きてもおかしくない、だから原子力発電所の再稼働を許さないという今回の裁定。まったくもって意味が分からない。
全国の原子力発電所の安全対策には、火山の噴火の兆候が認められたら、原子炉を止めて燃料を取り出し、安全な場所に移動し保管するという対策も含まれている。言葉の理屈ではなく、社会通念や科学的根拠を認めた今回の前の広島地方裁判所や大阪高等裁判所の判断のほうが明らかに妥当だ。
原子力発電についての私の考えは、以前にも何回か書いている。最終的に放射性廃棄物を出すシステムでもあるので、いつかは止めたほうがいいと思う。そういう意味では、私も今の軽水炉を未来永劫に使うことには反対だ。エネルギーをできるだけ使わない生活を目指すべきことは論を待たない。
しかし、今の社会環境下、資源がまったくといっていいほどない日本では、いろいろな発電方式を組み合わせることが現実的だ。電気の供給が不足または不安定になれば、そのことで社会は混乱し、高齢者など社会的弱者の生活上の不便さは確実に増す。医療の現場や災害の現場などでは、極端にいえば死者は確実に増える。エネルギーの問題は、数十年の単位で考えていくべきであり、原子力発電だけを否定することは現実的ではない。
日本には活火山は全国いたるところにある。こんなことを認めていたら、国が成り立たなくなる。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )