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2018 年 1 月 8 日

今年は良い年になってほしいものだ ー 嫌なことの多かった昨年

 年が明けた。今年はどんな年になるのだろうか、どんな出来事があるのだろうかなどと、今まで考えることはなかった。私の性格だろうか「新年が良い年になりますように」と年賀状に書くことはあるが、誰もが嫌な年になることを望んでいるわけではないのだから、通り一遍のきれいごとのようであまり意味のない言葉にも思えるのだ。

 でも、今年は気になる。そんな正月である。去年は社会的にあまり良いニュースがあったことが思い浮かばないので、今年はそうなって欲しくないという意味で、今年が気になるのかもしれない。

 北朝鮮は、どうしてああも意固地なのか。どうしてミサイルの技術をあんなに早く導入できるのか。
 韓国は、どうしてああも自虐的に過去にこだわり日本を批判するのか。大統領が変わる度に日本を批判している。教科書の内容も日本批判がひどいという。これでは信頼はできない。
 トランプ大統領は本当に有能なのだろうか。もし彼が本当に戦争を始めたら、日本はどうなってしまうのだろうか。ミサイルより難民、スパイ、細菌兵器のほうが怖い。
 児童虐待のニュースを、去年も何度見たことか。4歳や5歳の女の子が、その命を落とすまで暴力をふるい続ける大人の人の心はどうなっているのか。躾として50度のお風呂に入れたという大人の心は果たして正気か。33歳の娘を20年近く監禁し、食事は残飯を1日1食しか与えなかった親は、果たして人間の心をどのように持っていたのか。
 阿蘇山の噴火で愛媛県に火砕流が来る可能性がないとはいえない、という理由で発電所の立地そのものを否定した裁判官は、ではなぜ九州は人が住むべき地ではないと言わずに高額な退職金を手にして退官してしまったのか。そもそも、あの裁判官はまともな考えの持ち主だったのか。
 国、地方を問わず、政治家はなぜスキャンダラスな言動をするのか。政務調査費問題、宿舎の費用問題、はたまた不倫まで、またマスコミはなぜそれをはやし立て、政治の本筋を伝えないのか。
 これらのことは私にとって、一昨年の紅白歌合戦になぜゴジラが出てきて、なぜゴジラが死んだのか、その死骸はどこに行ったのか、それよりもっと不可解である。

 とにかく、良い年になってほしいものだ。
 かつて当社の講師で、若くして亡くなったNさんのお嬢さんが、最近家庭をもって赤ちゃんができたことを去年知った。早くにお母さんを亡くされ、その後にお父さんも亡くされて、姉妹で生きてこられた10代、20代の人生はどれほど切なかっただろうか。それを思うと、とにかく彼女にとっても今年以降が良い年になってほしいと思う。

 仕事でも、プライベートでも、今年も新しい出会いがあるだろう。私の望みは、私自身や会社に関わって他ではできない経験をした、と思っていただくことである。私がどれだけ価値のある人間か、当社が社会的に良い会社かどうかは分からないが、関わってくれた社員、講師、お客さまが、友人知人が、他とは違うな、変わった経験ができたなと思っていただければ、それが本望である。

 私も人生に仕舞いを付けることを考え始めなければならない。ということを自覚する。それは、もっと多くの人と知り合うとか、もっと多くの人に感動を感じてもらうとか、やるべきことをさっさとやっておかなければならないということも意味している。
 とにかく、良い年になってほしいものだ。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )