2018 年 2 月 4 日
人のことはいえませんが ― 軽口
国会の予算委員会の議論で、与党の議員が首相に質問していた。ピョンチャンオリンピックの開会式に参加しないほうが良いとの意見を持つ議員だった。その際に、例えばインフルエンザになったことにすればいいではないか、欠席の理由はどうにもつけられるという趣旨の発言があった。笑いながら言っていたので、冗談のつもりだったのだろうが、この議員の意見は要するに開会式に行くな、ということだ。
この議論をテレビのニュースで見た。ニュースであるから、前後の議論のやり取りは削除されていて真意は分からない。しかし、国会議員の品性の低さを感じたのは私だけではないだろう。サラリーマンが居酒屋で世間話の一端としての発言ならまだしも、これが国の最高議決機関の論戦ともなると、なんともさみしい気持ちになった。
もし、この後、何らかの理由で首相が韓国行きを取りやめたら、本当にインフルエンザにでもなったとしても、それは虚偽、別の理由ではないかと、彼の国から憶測を呼ぶことになる。
軽口、本人は冗談のつもりでも、時としてその人の品性を疑われる。あの若手議員、国会議員になる前に品性を磨いてほしいものだ。
と、ここまで書いて、人のことは言えないのが私である。講演や日常生活の場で、軽口をたたいて、これまでどれだけ失敗してきたか。人を傷つける意図はないが、結果的にそうなってしまったり、自分自身の品性をどれだけ汚してしまったりしたことだろうか。自分の周囲をあまりかしこまった雰囲気にしたくない、という気持ちからつい言ってしまうのだが、どれだけ自分の立場を軽くしてしまったか。プチ反省。
性格といえばそれまでだが、私は小さいころから演芸が好きだった。父の影響かもしれないが、ラジオで落語や漫才、漫談をよく聞いた。テレビでもその昔、日曜日の昼には「大正テレビ寄席」をよく見ていた。牧伸二さんの「あーああんあ、やんなっちゃった。あーああんあ、驚いた。」のウクレレ漫談と司会で、渋谷のホールからの公開番組だったが、この番組にあんなに売れる前のドリフターズや漫談家だった泉ピン子さんが出ていた記憶がある。ちなみに泉ピン子さんは牧伸二さんの弟子だ。夕方には「笑点」もよく見ていた。私の初期の記憶の笑点は、司会が前田武彦さんであり、その後南伸介さんに変わった。
当時は寄席番組が毎週何本もあり、コントや漫才、落語などよく見ていた。聞いていて飽きないし、落語家や漫才師、漫談家のしゃべりが面白いと思った。獅子てんや瀬戸わんやさん、牧野周一さん(牧伸二さんの師匠)、桂米丸さん(桂歌丸さんの師匠)など、好きだった。その後の漫才ブームの時は、社会人1~2年生のころ。番組は欠かさずといっていいほど見た。ビートたけしのジョークも、あれだけきついことを言っても嫌われないキャラは今でも憧れである。
そんなことが影響しているのだろうか。私は軽口をたたく、この性格がよろしくない。しかし、やはり周囲の人とは笑い合って付き合いたい。結局これからもジョーク、冗談、オヤジギャグを言うことだろう。が、できれば品性を感じていただけるほどでありたいものだ。周囲の皆さん、ごめんなさい。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )