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2018 年 7 月 23 日

水害に思う - もっと危機感を

 ここ数年、あちこちで水害が起きる。先般の水害は、平成に入ってから最悪の水害だという。去年は九州北部の朝倉市や日田市などで大きな被害が出たし、ここ数年は北海道や茨城でも堤防の決壊があった。数年前にも広島市であちこち崖が崩れ、幼い子や新婚のカップルが亡くなった。
 命が失われることには言葉もないが、家が残っても一度水没した家を復旧するのは、大変な苦労だ。泥をかき出すのも大変なことだし、家具など使い物にならないし、臭いや埃、衛生面でのこともあるから家も相当な改装を要する。去年も今回も、とにかく災害に合われた方々には言葉もない。お気の毒である。ボランティア活動に参加することもできないから、せめても募金というかたちで協力する。

 今回の豪雨は、高気圧が2つ重なって線状降水帯という雲の帯ができたことが原因だそうだが、高気圧の位置、雲の帯、時に台風などは一つの気象の現象として、そもそもの根本的な問題は、地球温暖化ではないかと思う。
 地球が有する水の量は一定である。要するにそれが水として海にあるのか、水蒸気として大気中にあるのかの違いである。湖水や地下にもあるが、それは地球規模で考えればわずかなものだ。水温が上がれば、海からの水の蒸発は多くなる。もちろん、地表面からの蒸発もあるが、海水面の面積と密度ははるかに大きい。大気温が上がれば蓄えられる水分量も増える。それが増えれば雲になる。結果としていつかは雨として落ちる。地球ができて以来、自然はこの繰り返しだ。
 私はかつて、シンガポールでスコールを体験したが、雨粒の大きさ、降水の密度、それは日本で経験し得ない降りであった。さすがに熱帯地方は雨の降り方が違うと恐れさえ感じたものだ。熱帯のスコールと今回の集中豪雨は、気象学的なメカニズムは違うが、それほどの雨の降り方がここ数年日本でも起きているということは、地球規模で、また日本に近い場所で、大気に含まれる水分量が増えていることと相関するのではないか。

 報道によると、例えば私が先日伺った愛媛県大洲市でも堤防の決壊があったというし、隣の宇和島市だけでも200か所以上の崖が崩れたという。広島県のある地区では、5分もしないうちに腰のあたりまで水が来たという。こうなると人の技術や、これまでになかったという経験則では、完全な平穏を守ることはできない。命は救えても、住む場所は相当に棄損される。自然環境に対する人間の対し方を変えるしかない。

 市や県によって許可され開発された造成地であっても、市や県が災害を補償してくれる訳ではない。数年前、知人の親せきの家が、水害で1階が完全に水没したという。そのとき、自治体からは見舞金20万円が出ただけだったそうだ。堤防の決壊は天災地変が原因だから、補償の対象にはならないのだ。
 福島の原子力発電所の事故では、見舞金として毎月一人10万円もしくはそれ以上、他に本来の休業補償が出ているというから、避難者は全く働かなくても暮らしていけるという。家の家賃はもちろん、新築住宅の購入費用も審査を受けずに出るという。だから価格の高い新築住宅を買って、すぐに転売すれば丸儲けだ。そういう人も多いと聞く。補償金総額が1億円を超える例もごく普通にあるという。我が国の補償の概念を疑う。このことは本稿の趣旨ではないが、とにかく雨が原因ではどうにもならないということだ。

 日本もこんな環境になった以上、結論は2つだ。
 1つ目は、そういう可能性のある所には住まないことだ。崖の傍や斜面に造成された住宅地、ハザードマップを見て浸水の可能性のある地域。そして、余程のことでない限りはマンションの2階以上に住む。そのほうが安全だ。以前からの私の主張だ。
 2つ目は、地球温暖化にもっと関心を持つべきことだ。今の我々がこのままの生活をしていけば、数代後の孫子の時代に必ずもっとひどいツケを残す。集中豪雨どころではないだろう。熱帯の蚊の繁殖が怖い。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )