2018 年 9 月 8 日
車へのあこがれ その3 - いつかはクラウン
私が小中学生だったころ、当時は、庶民が車を持つことは憧れであった。
母方の新し物好きの伯父がスバル360を買い、ブルーバードを買い、いすゞフローリアンを買い、スゲーと思ったのが懐かしい。この伯父は、私が大学の頃にはグランドモナークに乗っており、結構贅沢な生活をしているようにも見えた。私はある意味、その伯父に憧れて大学は建築学科に進んだ。
小学生の頃、ジュウジ・アローのデザインでマツダがルーチェを出した。これは本当にカッコよかった。中学1年の頃、いすゞが117クーペを発売した時には、私は完全に車の虜になっていた。とにかく早く大人になりたかった。免許が取りたかった。車が欲しかった。
1980年代、私が社会に出たころ、石坂浩二氏のナレーションにより「いつかはクラウン、多くの方がそうおっしゃいます」といった論脈で、トヨタ自動車のクラウンが日本の最高級車であることをイメージさせていた。そう、クラウンは憧れの車だったのだ。
この時代は、庶民は頑張ってもトヨタカローラ、日産サニー、マツダファミリアが相応で、ちょっと背伸びしてトヨタカリーナ、日産バイオレット。課長になったら、コロナ、ブルーバード。部長になったら、マークⅡ、ローレル。社長にでもならない限り、クラウン、セドリック、グロリアは無理、そんなイメージであろうか。
私より4歳か年下のワタミの創業者、渡辺美樹氏が、新車はとても無理なので中古でもいいからいつかはクラウンに乗りたいと思い、それを実現したという話は本で読んで共感できた。
そういう私もクラウンへの憧れは、今でも漠然とある気がする。中古のコロナバンから始まり、610ブルーバードを借りて乗り、コロナハードトップ、セリカリフトバック、スタリオンと中古を買って乗り継ぎ、娘が生まれたときに初めての新車セフィーロを買い23年乗って、5年前に中古のフーガ(Y50)にした。トヨタのクラウン級の日産車である。私もある意味で“いつかはクラウン”を実現した。
その車への憧れの本家ともいうべき、クラウンがモデルチェンジした。さすがにトヨタである。先日見て来たが、斬新な機構を随所に盛り込んでいて、車としての魅力が満載である。旧アスリートに代わるRSは好評で、実際に売れているという。
しかし、私は不満だ。クラウンは王様の王冠である。やはり憧れにも似た風格、自分には手が届かないだろうほどのイメージが欲しい。
今回のモデルチェンジ後のデザインは、確かにカッコいい。しかし、どこかかつてのスーパーカー、子どもっぽさを感じるのは私だけだろうか。レクサスなら、あるいはマークXなら許せるデザインだ。
それだけの車だからこそ、世論はモデルチェンジごとに評価はさまざまだが、買うか買わないかは別として、私にはクラウンは手の届かない大人のイメージであってほしいものだ。今回のモデルチェンジ、私にとっては悲しいイメージダウンである。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )