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ブログ

2018 年 11 月 14 日

自己責任 - 嫌な響きである

 ジャーナリストのY氏が、シリアの武装勢力と思われる者に拘束され最近解放された。私はこのことに特段の興味はないが、無事に帰国できたことは、とにかくよかったと思う。
 その後は予想通り、マスコミの自己責任報道である。街頭インタビューが流され、多くの人が“自己責任”だと答えていた印象である。それも3日もすればなくなった。
 他人の自己責任を論じることについて、どうも私には違和感がある。腹立たしいと言ってもいい。そもそも、自分の行動はそのすべてが基本的に自己責任である。それは当然のことであり、他人が責任を論じるのはそれこそ無責任な行為だと思う。テレビのインタビューで安易にそれを問いかける姿勢も問題だが、それに答えるのも問題だ。それを見せられる私は苦痛だ。

 以前、中東で日本のボランティア3人が拘束されたときも、マスコミによって自己責任が取り上げられ、結果的にバッシングのようになってしまった。外国の治安は、確かに日本とは違う。不用意に危険な地域に入ることには問題もあるだろう。
 しかし、そんな地域に行ってまでボランティア活動をしようとする心意気やいかに。そこまでのボランティア精神を持った若者を、そこまでのボランティア活動をしたことのない一般の私たちが評することは、まさに不遜であろう。リスクを許容しなければ、すべての勇気のある行動はできなくなる。

 外務省や現地の大使館、広く日本政府は、海外にいる邦人の安全を確保する責任を負う。当たり前のことだ。そのことに議論の余地はない。単に楽しいからという理由で、大いなる目的もなく海外旅行に出かける人もいる。途中でパスポートをなくしたり、現地で犯罪に巻き込まれたりして、大使館や領事館に助けを求める人は多いという。これを外務省が自己責任だと突き放すかというとそうではないし、そうであってはならないわけで、今回の件も仕方のない現実が起きてしまったということでしかないのだ。

 ジャーナリストの取材、マスコミの報道があって、私たちは自分の意思で自由な判断ができる。それが危険な地域であっても、そのことがないと危険だとの判断ができないし、自由な意思を持つことができる社会は成り立たない。かといってマスコミやジャーナリストが偉大なわけではないしヒーローでもない。一人一人は弱い人間なのだ。
 今回の件も、自己責任などという軽々しい言葉で片づけず、現実を知ることのきっかけになればいいのではないか。Y氏には、国民への感謝とお詫び、知り得た情報をできる限り公開することを望みたい。

 今回の件で、北野武氏が言っていたことは正しいと思った。フリージャーナリストは、今回のような取材がうまくいくと名声を得る。それは自由な金儲けであるが、社会的意味がある。一方でリスクもあるわけだから、ジャーナリスト保険とかジャーナリスト共済なんてないのかなと。
 一理ある。海外旅行でも上積みの任意保険がある。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )