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2019 年 1 月 20 日

私にはよく分かりません その4 ― 働き方改革

働き方改革が社会のキーワードの一つになっている。ニュースで毎日のように聞く。
 今年の正月は4日が金曜日だったので、そこを休めば12月29日から9連休で、企業や役所においては、あえて休暇を取るように勧めたところも多いらしい。これも働き方改革だそうだが、どうもよく分かりません。それは単なる有給休暇取得の勧め、でしかないのではないだろうか。

 確かに一部の企業や役所では、働きすぎるほど残業が多いようだ。体を壊すほどの残業を強いるのはいかがかとは思うが、問題は単に働く時間が長いことではなく、その仕事への取り組み姿勢と個人の裁量に、組織がどれほど強制的に介入したかではないだろうか。 今回の議論は、電通の女性社員の自殺事件が少なからず影響を与えていると思われるが、あの事件の背景には、自分で仕事をコントロールすることを許さず、過程も成果も評価しない組織の背景があったようだ。その仕事が本当に面白いと興味を持って取り組めば、何時間その仕事とをしようと、やりがいも達成感も感じることだろうし、何より仕事自体が苦通ではないだろう。多少の過労はあっても、自殺にまではいかないはずだ。
 反対にやりがいを感じない仕事であれば、たとえそれが1時間であっても、定時に終わろうとも苦痛でしかないだろう。
 残業を少なくしました、退社後に副業を認めました、それでも仕事に対して打ち込むことができずに時間を過ごして退社するとすれば、仕事をする人間の生き方としていかがなものか。そんな親を子どもは尊敬するだろうか。子どもの視点で考えれば明らかだ。

 どのような仕事でも、自分で目標を設定し、自分でやり方や時間を整えることができ、主体的に取り組んだ結果が周囲に認められ尊敬される、そんな働き方が大切なはずだ。勤務時間など単なる基準に過ぎない。有給休暇を消化すること、残業せずに帰ることと、仕事のやりがいには直接的な関係はない。単に時間を短縮しろということではないはずだ。政府がいう働き方改革などという言葉に惑わされず、人は人としての存在感を仕事を通して多いに発揮したらよい、それが本当の意味の自分自身の働き方であろう。

 働き方改革は、そもそも日本人は働きすぎだという発想から出てきたようだが、働きすぎの定義が、これまたよく分かりません。少なくとも日本は勤勉でモーレツに働くことで戦後の復興を成し遂げた。GDP世界3位にまでなった。国内には資源がない。しかも島国である。それがここまで発展したのは、国民が皆一生懸命に働いた結果だろう。これを欧米に比べてとか、欧米にならってとかいって、労働時間も労働意欲も欧米並みにしてしまったら、間違いなく国力は落ちるだろう。
 日本人は働きすぎだから欧米に倣えという働き方改革は、国際的な陰謀にも思える。
 よくは分かりませんが。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )