2019 年 2 月 18 日
ボーッと生きてんじゃねーよ ー 骨髄バンク
競泳の池江選手が白血病で入院した。若くして日本記録を続々と塗り替える活躍が報じられ、その18歳の人柄(テレビで見るだけだが)から、多くの人々が好感を覚えていたことだろうと思う。私も大いにショックであり、なぜ彼女がと、何とも言えないこの世の哀れを感じる。病を克服し、必ず復活されることを信じているが、悔しさは本人にしか分からないだろうし、この時期のブランクはアスリートとしては相当に不利であろう。できることなら変わってあげたいと、そんな感じを持った人々も多かっただろう。
白血病は血液のがんと呼ばれ、基本的には骨髄移植で治る確率が高いというが、それは人の協力によらなければならない。いくら科学技術が進んでも、献血のように人の善意の輪で成り立つのが移植である。しかし、日本では骨髄提供を申し出るドナーは決して多くはない。骨髄は白血球の型が合わないと移植できないが、それが合う確率は1万人に一人というレベルだという。したがってドナーが増えなければ、多くの患者も救えないということである。
この度の池江選手の報道で、ここ数日骨髄バンクへの問い合わせが100倍にもなったという。献血者も相当数増えたそうだ。それはそれで良いことだと思う。しかし、そのニュースを聞いて複雑な気持にもなった。
骨髄移植のドナー登録はもう30年くらい前から行われている。その間に治る命が救えずに、苦しい思いをした人は他にもたくさんいる。いわば有名でもないそういう人々が大勢いたことを、今の人々は知らなかったのか。有名人のこの度のことがきっかけになってドナーが増える、それはそれでいい。多くの方の善意に敬意を表す。
でも、何で今さら?
ボーッと生きてんじゃねーよ。
私は車の免許を取った18歳から無理のない範囲で毎年献血している。その気持ちで骨髄移植のドナー制度が始まった当時、29年ほど前にドナーの申し込みをし、一次の血液検査が合格となった。正式にドナーに登録されるためには、二次検査を受ける必要がある。二次検査になったからといって、すぐに移植になるわけではない。そこで登録となり、移植するためには、その後何回もの検査を受ける。何せ1万分の1だからである。
当時、子どもが生まれて1年目だったろうか。妻は私がドナー登録することに猛反対した。その前年に、骨髄移植でドナーが1人亡くなったというニュースがあったからだ。万が一のことがあっては困る、というわけだ。
私は当時の骨髄移植財団のコーディネーターに電話をして、どうしたら家族を説得できるか、できればわが家へきて妻を説得してくれないかと頼んだ。コーディネーターは、そういうことはできないと言った。よく話をしてご家族のご理解のもとで登録してください、と。私は結局、妻を説得することはできず、ドナー登録をあきらめた。今なら説得できるかもしれないが、ドナーは54歳までだ。
私は他人のことは言えない。ボーッと生きているつもりはないが、このことについて世間の役には立っていない。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )