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ブログ

2019 年 3 月 20 日

美学 ー おバカなアルバイト

 このところ、コンビニエンスストアや外食レストランチェーン店で、アルバイト店員が目に余る行為をインターネット上に投稿して問題になっている。食材をわざと床に落としてから調理したり、一度ゴミ箱に捨ててから取り出したり、口に入れたものを吐き出したり、調理スペースでわざわざ裸になってふざけたり、これらの行為をわざわざ動画に撮って投稿している。
 レストランチェーン店の大戸屋では、社員にこういうことをしないようにと研修をするために、全国の店舗を一斉休業にしたという。一企業のニュースがNHKのトップで扱われるほどのことになっている。

 なぜそういうことをするのか、なぜわざわざSNSに公開するのか、テレビでインターネットに詳しいとされる解説者が一様にネット社会の怖さを指摘する。安易にこういった画像をアップするのは問題であると。誰がどこへ拡散するか分からない。本人のサーバーからは画像が削除されても、ネット上のどこかには永遠に残る。本人たちは遊びや友人に行為を誇示したいつもりだろうが、たとえアルバイト社員であっても、被害を受けた企業から損害賠償を要求される可能性がある、などと。
 それはそうだろう、犯罪として立件されるかどうかは別として、これだけの非常識な行為を自分の意思で公にして、店の評判を落とし、結果としてその企業が大きな損失を受けるのだから、その身分が正社員だろうがアルバイトだろうが店の客だろうが、刑法における業務妨害の可能性はあるだろう。民事でも損害賠償を争う価値はあると思う。解説者の言うことは間違ってはいない。

 しかし、それらはインターネットに投稿する以前の問題ではないか。
 彼らも分かっているはずだ。これはすべきではないことを、それが分かっているからこそ遊び半分で投稿する。食べるものにも困る貧しい社会であれば、もちろんそんなことはしないだろうが、問題の本質はそこではない。
 そんな若者に問いたい。君たちには美学というものがないのか。自分が美しくありたい、美しく生きたいという気持ちがないのか。人に見られようが見られまいが、自分が美しくありたい、人に恥じない生き様でいたいという気構えはないのか。いかにも破廉恥ではないのか。それを考えずに生きることは人間のすることではない。単なる動物である。自らを美しくすることは、自らを厳しくすることにつながる概念である。自分がいかにしたら美しくいられるか、そのことを大人はもっと言うべきであろう。

 ついでに言えば、駅の構内での歩きスマホも同じである。JRは危険だからやめてほしいとアナウンスしているが、そうではない。恥ずかしいことだからやめろというべきなのだ。歩くペースも乱れるし、だいいち実にカッコ悪いじゃないか。背筋を伸ばして颯爽と歩くという、一つの行為に真剣に取り組んでいない。それは恥ずかしい行為なのだ。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )