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2019 年 5 月 3 日

改元について思うこと ー お祝いムードと象徴の意味

 平成から令和になった。総じてお祝いムード、年末年始の感すらあり、それはそれで良かったと思う。テレビ各局が特別番組で、平成最後のとか令和最初のとか渋谷、道頓堀から中継とか、どうでもいい情報もあったが、毎度のマスコミの質の低下だ。

 昭和から平成に変わった時は、昭和天皇の崩御ということで社会全体が喪に服すかたちであったから、お祭りムードはまったくなかった。平成という年号もわずかの間に決められて発表されたので、社会全体が大わらわであった。平成という年号が発表されるや否や商標登録に走った業者もあり、バブル景気という背景もあって、それがマネーゲームに使われた。
 その点、今回は1年前に改元が予定されていたわけだし、年号の発表も1カ月前で準備期間が取れた。生前退位ということで国民全体に“平成天皇ありがとう”といったムードが漂った。私は天皇制や皇室という概念に特別な興味や知識があるものではないが、前回のように亡くなりました“さあ大変”というよりははるかに良いと思った。

 また、今回のことでは“象徴天皇”という言葉がマスコミによく登場した。このことについても、私には特別な思いがあるわけではない。天皇は日本国民統合の象徴であり政治的力は有しない、という意味のことが憲法に書いてあることを知っているくらいのものだ。
ではその象徴とは何かといわれると、正直のところよく分からなかった。英語でいうとシンボル。だったら国旗や国歌もシンボルだし、室町時代から江戸時代にかけて、武士が天皇の象徴としての概念を利用して権力を誇示した時代もあったわけだし、昭和天皇は悲しいことながら自らの意思とは別の次元でシンボルにされてしまって、第2次世界大戦では数百万の国民が死に至る結果になった。そのことをいまだに問題にして、天皇が謝れば済むなどと言っている時代錯誤な国もあるわけで、いったい象徴とは何ぞやと。

 今回の改元に伴う報道で、象徴が私なりに少し分かってきた気もする。それは、天皇陛下が被災地の方々を見舞うことで、多くの人が涙を流し、勇気を得たというインタビューが多く流されたことによる。これは総理大臣では政治の話になるし、タレントではどこか他人事のイメージがぬぐえない。しかし、天皇陛下だと多くの人がありがたいことだと言う。なるほど、これは象徴としての天皇陛下にしかできないことかと思う。外国訪問では、日本という国体が外国に伝わるということもある。これは個人が何万人も外国に行く現代でも、おのずから意味が違うのだ。

 小学校の時、人は生まれながらにして平等であるべきと、天皇制を批判する作文を書き親が学校に呼ばれたとか、もちろん子どもの幼い正義感でしかなく、政治的な動きは一切したことはない、そういう経験のある私だが、この歳になって何となく“象徴と国の安泰”“象徴と人の気持ち”が少しだけ分かった気がした改元であった。
 何はともあれ、これからの時代がよりよくなることを願うばかりだ。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )