2019 年 5 月 15 日
女川に行ってきました - 復興の現場に思うこと
宮城県女川町に行って来た。2月に東北電力の研修をした際に、女川原子力発電所の見学を勧められ、4月のこのタイミングなら時間が取れるということで、こちらこそ是非と見学の希望を申し出た。1泊2日の行程で初日に見学、2日目に現地の方々への研修会ということになって実現した。
女川原子力発電所には、かねてより行きたい気持ちがあったので嬉しいことだった。全国の原子力発電所については、PR館のみ訪れたものも含めると、関西電力の大飯と高浜以外はこれですべて行ったことになる。原子力発電は冷却に大量の水を使うので、どこの立地も海沿いにあり、一般論として風光明媚な場所にあるのは、岩盤のしっかりした場所にあるからだ。女川発電所も石巻市の牡鹿半島の中ほどの自然美の中、女川町に位置する。
かの地震の時、この発電所にも約13メートルの津波が来たという。幸いにも発電所の地盤がそれ以上あり、一時外部電源が失われたものの非常用電源が稼働したので、発電所は安定的に推移した。付近の住民を敷地内の体育館に避難させたことは、美談として今も語り継がれている。
以下、復興された町という意味での女川町の印象だ。駅は新築され、有名な建築家の作品で斬新なデザイン、単なる駅舎にとどまらず温泉施設、集会場、売店、レストランなどがコンパクトにデザインされたものだ。駅から港までなだらかな下り斜面には、商店街シーパルピア女川が新たに造られ、お洒落な街並みに特徴ある物販、飲食店が並んでいる。移設復興した店あり、新たに始めた店あり、他から投資してできた店などがありで、歩くのが楽しい。商店や飲食店で接した人も総じて明るい、元気で親切にもてなしてくれる。駅の脇にはトレーラーハウスを並べたホテルもありこれまた洒落た一画、総じてパッと見きれいな街ができている。今度は松島観光とともに、もう一度来ようという気になった。
今回は町の中心部にしか行っていないし、私は元の女川町の佇まいを知らないが、駅から港までのこの一帯は、震災後数メートル地盤がかさ上げされているという。その駅付近から海までのいわゆる町の中心部は、住宅建築は禁止だそうだ。かさ上げされてもなお海抜が、前回の津波の高さにならないからだ。
周囲に目をやると、山が無残なほどに切り削られ、その部分に新しい住宅街、学校用地ができている。以前の山のかたちを相当に変えて、街の商業地と居住地の区分けがされている。都市計画という観点からすれば、なるほどと納得がいくことだ。それにしても大胆な切り方だ。これも復興予算のなせる業か。
商店街の先、港へ100メートルほどの部分は今も未整備、立入り禁止である。鉄筋コンクリート2階建ての交番が基礎からひっくり返ってそのまま残っていて、津波の破壊力の強さを伝えている。この交番が保存されるかどうかは未定だそうだが、この一帯は将来公園になるという。
女川は他の地域に比べて復興が早いのだという。確かに魅力的な街ができつつあるが、現在の人口は震災前の約半分だという。また、かさ上げされた中心部も、かつての建物も街区もその下にあるわけだが、数メートルも土を盛っているのでかつての面影はことごとく残っていない。その下では数百人の方が命を落としているわけで、いわば人の魂の上に駅や商店街ができているわけだ。そのことをこの街の人は皆知っている。でも明るい。
これらのことを思うとき、この街の美しさ、人々の明るさをどのように考えればいいのか。こういう町が東北にはまだ多くあるのだろう。よそ者の私には何もできないのだが、せめてできることは、また機会を得て伺うこと、お土産を多めに買うことか。そして、皆さんにご紹介すること、全国の方々にも東北に足を運び、あの日の出来事、人々の思いを想像してみていただきたいものだと。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )