2019 年 9 月 13 日
デュークエイセス ー 思い出に残る歌手
デュークエイセスと聞いて、4人組の男声コーラスグループだと分かる人も少なくなった(かもしれない)。私は小学生のころから歌謡曲が好きだった。俗な子どもだったので、勉強はともかくも人気の歌手に憧れた。今はタレントはプロダクションに所属していて、あの人はどこどこプロダクションというイメージがあるが、当時の歌手はレコード会社に所属しており、あの人はどこのレコード専属というイメージであった。
私は小学生当時から東芝の家電製品に憧れていたこともあり、東芝レコード(東芝音楽工業)のブランドに憧れていた。東芝は明治の初期にからくり儀右衛門、日本のエジソンといわれた田中久重の事業に発祥した、我が国では最も歴史のある家電メーカーである。冷蔵庫、掃除機、洗濯機、炊飯器、ICラジオ、ワープロなど、今に至る家電製品の多くを日本で初めて作ったメーカーである。そのレーベルを冠するレコード会社に所属している歌手は、もちろんそれだけが理由ではないが、小学生から中学生にいたる私には憧れであった。当時の東芝レコードには、順不同だが私が今もファンを自認する加山雄三、坂本九、トア・エ・モア、黛ジュン、由紀さおり、小川知子、奥村チヨなどの歌手がいた。勝手なイメージだが、演歌歌手が多い他のレコード会社、ビクター、コロムビア、テイチク、ポリドールなどとは違ったイメージがあった。
その東芝レコードに所属していたコーラスグループがデュークエイセスである。当時、男性4人のコーラスグループは、他にダークダックス、ボニージャックスがあり、こちらも人気があった。私は子供心にダークダックスはお高いイメージ、ボニージャックスはなんとなくダサい感じがして(失礼!)憧れなかった。私のお気に入りはデュークエイセスであった。人の良さそうな男性4人。自分もきっとこんな大人になるのだろうと思っていた。その後、鶴岡雅義と東京ロマンチカというグループも好きだったが、これは演歌で別だ。
デュークエイセスの結成は1955年だから、私が生まれた年だ。もちろんその時点のことは記憶にないが、私の記憶の初めは小学生の頃、楽曲“幼なじみ”がヒットした頃だ。概ねの歌詞は記憶にあり今でも歌える。
順不同だが、いくつか紹介する。
「幼なじみの思い出は、甘いレモンの味がする、閉じるまぶたのその裏に、幼い姿の君と僕……」
「お手々つないで幼稚園、積み木ブランコ紙芝居、胸に下がったハンカチの、君の名前が読めたっけ」
「小学校の運動会、君は1等僕はビリ、泣きたい気持ちでゴールイン、そのまま家まで駆けたっけ」
「学校出てから久しぶり、ばったり会ったら二人とも、アベック同士のすれ違い、眠れなかった夜だっけ」
「明くる日あなたに電話して、食事をしたいと言った時、急に感じた胸騒ぎ、心の霧が晴れたっけ」
と、幼なじみが結婚し、最後はその子どもが「お手々つないで幼稚園」という人生を歌った国民的歌謡曲である。これは今聞いても微笑ましいし、時代を超える好きな曲である。
デュークエイセスには、他にも有名な楽曲がある。
“女ひとり” 「京都、大原三千院、恋に疲れた女がひとり、……」
世間的にはこれが最も有名だろう。「京都、栂尾高山寺」「京都、嵐山大覚寺」と続き、京都を舞台に郷愁を感じる曲だ。いつかは行ってみたいと思いながら、私はまだ行っていない。(ボーッと生きてんじゃねーよ!)
“筑波山麓合唱団”「筑波山麓男声合唱団、マウント筑波のフロッグコーラス、コンダクターはガマガエル、ガマはガマでも四緑のガマ、……」
なんともユーモラスな歌で、筑波山を有名にした曲と言っても過言ではないだろう。
"いい湯だな“
「いい湯だな、いい湯だな、湯気が天井からぽたりと背中に、冷てえな、冷てえな、ここは上州、草津の湯」
これはザ・ドリフターズがカバーして大ヒットしたので有名になったが、本家本元は紛れもなくデュークエイセスである。
“別れた人と”「別れた人と神戸で逢った、何も言わず、何も言わず、……」「夜の六甲、街も寝ていた」
これは不倫を歌った曲だと思われるが、この曲に出会った大学生当時の私は神戸という街に郷愁と憧れを感じたものだ。その後、何十年を経て、今は年間に何度も神戸に行くが、三宮に降り立つ度に口ずさむのはこの曲である。
“フェニックス・ハネムーン” 「君は、今日から、妻という名の僕の恋人……、」
1960年代の楽曲。宮崎を歌ったものだ。当時、新婚旅行の定番は宮崎であった。南国のイメージが新婚カップルには憧れだったのだろう。羽田から飛行機に乗ること自体が特別だったはずだ。当時、沖縄はアメリカ領、ハワイは1ドルが360円の時代、庶民が行ける場所ではなかった。
そして、この曲は私の人生を支えているといっても過言ではないのである。結婚34年。今でも妻は私の恋人、と言い聞かせている自分がいる。それが自分をいかに豊かにしていることか。いや、本当ですよ。
レコードを持ってはいたが行方不明。今は懐かしくパソコンで聞ける。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )