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2019 年 12 月 19 日

お言葉でございますが その7 - 具体的な言い方

 コミュニケーションを教える立場なので、さまざまな場面において「この場合は、どのように言えばいいのでしょうか」という相談を受ける。究極的には私の回答は「その場で考えなさい。何を言っても自由ですから」である。すると、相手は期待外れであろう、不満顔をする。こちらもプロであるから、その回答だけでは申し訳ない。そこで、例えば「こんな言い方もありますよ」「こんな言い方ではどうでしょうか」と、あたかもその場に自分がいたらと、想像しながら例をあげて話をすると、多くの方がなるほどと満足顔で帰って行く。

 言葉は本来、状況言語である。したがって、言葉には絶対の解はない。その場によってどのような言葉がふさわしいかは何とも言えない。また、話し手と聞き手、人は皆違うから、それぞれの立場においてどういう言葉が良いか固定的に言えるものではない。だから、その言葉を発する当事者が考えるべきものだ。
 現実には、皆が勝手なことを言い出したら困る。だったら、いっそのことマニュアルでも作ろう、こういう場合はこう言おうと決めてしまおうと、仕事ではありがちなことである。組織で仕事をする上で、用語をマニュアル化して規定すること、それは仕方のない面はある。新人を教育するには手っ取り早い方便である。それはそのとおりだ。

 しかし、人の能力としてのコミュニケーションを考える時、マニュアルで規定し、こう言えば失敗しませんよ、もし相手に文句を言われたら「うちではこう言うことに決まっています」と返しましょうとなると、そういうことは本来的には好ましいとは思えない。人は解を得るとそれ以上考えなくなる傾向がある。これは、人間の本来的なコミュニケーション能力を弱めることにつながるからだ。

 言葉のつかい方を考えることは、本来、人が人間であることの証であり、個々の人間の本来的な能力である。コミュニケーションに正解はないのだから、言葉づかいは常に悩んで考えるべきことだ。その場で判断して「自分はこういう意味で、この言葉をつかって、こう話しました」と言い切れることが大切なのだ。その結果、もし相手が不快な思いをされたなら「不快な思いをされたなら、ごめんなさい」と謝る。余程常軌を逸していない限り多くの場合それで許される。私はこの仕事を通して、謝る勇気を教えたい。

 また、自分が不本意な言葉づかいをされたら、それはそれで気にしないことだ。矛盾のあるのが世の中である。よほど腹に据えかねたら「そういう言い方はやめてください」と言えばいいのだ。その勇気を持つことを私は教えたい。でも大切なことは、全ての言葉の背後にある哲学なのだ。多くの人は私も含めて言葉尻を捉えて、人の本質を分かっていない気がする。
 私は、コミュニケーションのあり方をアドバイスすることを生業としているのだから、相手が納得しなければ仕事にならない。したがって、私もモデルとしての言葉や会話の仕方を示すことはある。その都度忸怩たる思いに苛まれる。因果な仕事だと思う。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )