2020 年 2 月 26 日
未完の自覚 ― 申し訳ない気持ちを引きずりながら
私は人の前でお話しすることが仕事である。しかし、このところどこで講義をしても、いい話ができた実感がない。自分で自分の話に満足感がない。本当にこれで良かったのだろうかと思う。私の講演を聴いてくださった方々に申し訳ない気持ちがいっぱいなのである。
もちろん、受講者の多くは聞いて良かったと思ってくれてはいるだろうし、感想を伺えば役に立ったと言ってくれる。しかし、そんなことは講師として当たり前のことで、問題にもする価値はない。
正月の箱根駅伝のスポンサー、サッポロビールのコマーシャルで、このところ毎年恒例の「大人を旅するエレベーター」というシリーズがある。中高年の有名人に一問一答のインタビューをする中で、大人とは、大人になるとはという哲学を解き明かすのだ。今年は59歳の三谷幸喜がインタビューを受けていた。その中で彼は、歳を経るごとに自身の作品について、納得いかない理想から離れていくものになっているという意味のコメントをしていた。歳を取るとそれだけ状況が見えてくる、理想がより高まるから、と。なるほど。
先日、ある福祉施設の職員に2時間の講演をした。20歳代から50歳代の方に聞いていただいた。真摯に聞いてくれているのだが、今時の人たちだから反応は薄い。終わってから、今日もまたつまらない講演をしてしまった、うまくいかなかったな、今日の受講者に申し訳ない気持ちでいた。
その後、帰りの車の中で施設の責任者のうちの一人の女性が感想を述べてくれた。「今まで受けた講演でこんなに疲れたことはない。まるで一日運動した後のようだ。」と。私の今日の講演はそれほどにひどかったかなと、一瞬がっかりもしたが彼女の言い分はそうではなかった。講演の内容が具体的であって、自分のこれまでを反省するやら、励まされるやら、意欲をかき立てられるやら、心を動かされたという意味で、実の濃い2時間に疲れたという趣旨のようなのだ。これは一人の方の感想に過ぎないが、最大級のお褒めの言葉と思うことにしよう。でも、自分としてはもっといい話ができたのに、受講の皆さんに申し訳ない気持ちがいっぱいなのである。
そんなことを札幌の友人M氏にラインでこぼした。彼は返信で、室町時代浄土真宗の僧、蓮如の言葉を贈ってくれた。
「心得たと思うは心得ぬなり、心得ぬと思うは心得たり」
ありがたいことである。私は人に助けられている。
もう少し頑張ってみるか。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )