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ブログ

2020 年 3 月 18 日

関西電力幹部の金銭授受について思う - 皆で考えることの大切さ

 昨年来、関西電力の幹部、関係者が、原子力発電所の立地自治体の元助役から、多額の金銭を受け取っていたという報道がなされている。最近になって、元検事総長からなる第三者委員会からの報告が発表され、会社の体質を厳しく問われることになった。
 それ以前の記者会見でも、儀礼的にもらった菓子折の底に小判が敷き詰められており、それを返そうとしたら「受け取らないと、お前の家族に危害を加える」などと恫喝され、仕方なく預かったとか。まるで林家木久扇さんの落語のような、冗談かと思われるようなやりとりがあったなどと報道があり、これが現代の大人の社会のできごとかと、あきれてしまったのは私だけか。
 電気事業者は企業とはいえ公益事業者でもあるので、特定の者に便宜を図ったり不透明な取引をしたりすることはよろしくないわけで、このことに関わった関西電力の方には、大いに反省していただかなければならない。

 しかし、批判を恐れずに申せば、ある意味で関西電力も被害者だと思う。社会のあり方にも問題がある。
 電力会社が原子力発電所を建てて運転するのは、企業としての業績を上げるためという理由だけではない。エネルギー政策の根本に関わる大切なことなのだ。すなわち、日本のエネルギーを、
 国際情勢に左右されず確保するため、
 社会に安定して供給するため、
 できるだけ安く供給するため、
 国の方針にしたがって、
なのである。

 一方で、原子力発電の運転は、地域の皆様のご理解を得た上で、という美辞麗句がまかり通る。つまり運転するためには、地域の皆様のご理解が条件になっているのだ。しかし、原子力と聞いただけで拒否反応を示す人もいるだろうから、地域の皆様がそう簡単に理解されるとは限らない。そうなると「では、私が地域をとりまとめてあげましょう」という有力者が出現する。
 地方分権などという言葉も政治のキーワードになった時期があったが、これも同じ事である。地域の意見を尊重し権利を与えれば、その段階でのとりまとめ役が必要になってくる。それは必定でもあるし悪いとは思ってはいない。

 そうであるならば、その先は民意が働かなければならない。つまり一人ひとりの住民の意思が、ガバナンスという力を持たなければ、今回の元助役のような立場の人、独善的是非論者が生まれてしまうわけである。報道によると、この元助役は町長よりも強大な影響力をもち、歴代の町長はこの元助役の言うことを聞かなければ選挙に当選しないし、当選しても元助役の意のままに動かなければその地位にはいられなかったという。いわば、ミニ独裁者なのだ。
 この元助役のあり方はおかしいと気づいていた人もいたのだろう。もちろん関西電力の社員も。しかし、そのことに社会的ガバナンスが働かなかった。そのほうが便利だったのかもしれないし、「家族がどうなってもいいのだな」などと恫喝されたことも一因かもしれない。その地位と影響力を関西電力も利用したという面もあったのだと思う。なにせ、地域の皆様のご理解をいただかないと運転できないのだし、この人の機嫌を損ねて反対の立場の意見をまとめられては困るのだから。
 受け取ることができないなら供託するという手段もあるが、それをしたら元助役の行動は公になる。だから個人で預かったということなのだろう。

 いろいろな要因はあるが、それでもなお関西電力の一部も、その他の日本の原子力発電所も多くが動いていない。そのことによって外国から余計に買わなければならない火力発電所の燃料、天然ガス、石炭、石油の金額は毎年数兆円である。このお金は確実に日本から国外に流出している。これを例えば福祉や教育に使ったらと思うと涙が出る。もちろん火力発電を増やすことによるCO2の排出もだ。

 原子力発電所の運転は電力会社の判断でできる。法律的にいうなら、地域の皆様のご理解は必要ない。エネルギーは国全体に関わることだから、決断すべき時は決断すべきことと考える。
 しかし、現実には企業の方々も政治家も、地域の皆様のご理解を口にする。地域の皆様の定義も、最近では施設から30キロ圏などと拡大解釈されるから、それはもう大変なことだ。ある電力会社では、その地域の数十万人の方を順番に毎日のように訪問し対話活動を展開している。それはそれで大切なことであり、発電所がある以上は続けるべきだと私は思う。一人ひとりに真剣に考えていただくために。
 大切なことは一部の有力者に頼ることではなく、一人ひとりが考えることなのだと思う。今後の関西電力、社会のあり方に期待したい。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )