2020 年 5 月 5 日
新型コロナウィルス騒動に思う その5 ― 本当に怖いのは心の病
新型コロナウィルス感染防止のことを、一部の政治家、マスコミが戦争と表現している。皆でウィルスと戦いましょう、というわけだ。それはそれでプロパガンダとしての効果はあるだろうからあえて否定はしないが、ウィルスは生物ではないし意思を持っているわけでもないのでむなしい気もする。季節性インフルエンザも、現代医学をもってしてもゼロにはなっておらず毎年何千人かの方が亡くなるわけだし、人々の多くは年中行事のように予防接種に通うのだから、戦争よりも共存を目指すというほうが良いのではないかと思う。
今、本当に恐れなければならないのはウィルスではなく、心の病ではないだろうか。
病院関係者がタクシーから乗車を断られた。看護師が自宅マンションに入れてもらえなかった。医療関係者の子どもとは遊ばないように親が指示する。長距離トラックの運転手の子どもが入学式に出られなかった。県外ナンバーの車に傷を付けるなどの嫌がらせ。などなど、胸を締め付けられるニュースが多い。
身近なところでも、電車内で誰かが咳をすれば冷たい視線が飛んでくるし、マスク着用でない人は入店禁止の店も出てきている。スーパーの店員さんとは顔も見ない言葉も交わさない、むしろ店員に「しゃべるな」と言う客もいると聞く。私の娘は薬剤師だが、薬の数を数えて確認してもらいながら渡そうとしたら「薬に触らずに渡せ」と男性の高齢患者から怒鳴られたという。薬剤師の手にはウィルスが付着していると思っているようだ。スーパーでも薬局でも怒鳴る客に起因するリスクのほうがよほど高い。
陽性判定を受けて自宅待機を求められた女性が、要請を無視して高速バスに乗って帰宅したとの報道を受けて、ネット上ではこの女性の批判やプライバシーが炎上しているという話もある。女性のやったことは良くはないが、プライバシーの暴露はそちらの方が暴力であり問題だろう。しかもネットでそれをする人は匿名という卑怯。
宅配便のメッセンジャーが来ると面会もせず、いかにもウィルスを運んで来たように嫌がり「そこに置け」と指図する人がいるという。宅配便を玄関の前に置くというのは、届ける宅配便業者にとって効率はいいかもしれないが、顔も合わせてくれないのは非人間的だ。さらに受け取った荷物にすぐに消毒剤をふりかける人もいるというが、荷物を運んであげてまるで迷惑人扱いをされたのでは彼らの気持ちは相当に疲弊するだろう。玄関先で荷物を受け取ることでの感染リスクは常識的に微々たるものだ。
スーパーでも宅配便でも、人に何かをしてもらったら「ありがとう」「ご苦労様」「こんな時期だけど頑張ってください」などのくらいの言葉をかけること、感謝が伝わってこそ人間と人間の関係ではないか。
それができなくなった人々、心の病といえはしないか。それぞれの人は万が一のことを心配してのことだと思う。いわば善意だが、これらは差別や分断を生じさせる。その考えの根底には「自分は感染していない」「自分をリスクにさらす者は排除」という姿勢である。その考えは誰にでもあるしそれが即悪ではないのだが、過度に心配し恐れを抱くことは、本来人間が持つべき相互性「他人のために生きる」という理想的崇高思想が失われていく結果になりはしないか。とすれば、心の病は新型コロナウィルスの最大の恐ろしさだろう。
リスクを恐れて、本来の人としての理想を見失うこと、具体的な根拠のないままに現状を恐れ他を疑うこと、これらのことは人間としての品格を貶めることである。人間いかに生きようと、生まれ方と死に方は選べないのだ。だとすれば、今を愛と理性をもって落ち着いて生きいくしかあるまい。かつて人生の恩師から教わった言葉「心は温かく、頭はクールに」を思い出す。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )