2021 年 8 月 10 日
東京オリンピックに思うこと(その1) - やって良かった?
東京オリンピックが終わった。今のところ、大きな問題も起きずに閉会できたようでまずは一安心である。オリンピック期間中に東京都の新型コロナウィルスの感染者は、500~1000人レベルから4000~5000人レベルになってしまって、例によってマスコミはそのこと一辺倒だ。感染確認までのタイムラグを考えれば、常識的にこの増加はオリンピックが原因ではないはずだ。選手、大会関係者は基本的に限られたエリア内で移動し陽性者は隔離された。多少のルール違反者はあったようだが、概ねそれはうまくいったのだろう。
オリンピック期間中に一般の人が移動した原因も、多少の影響はあったかもしれないが、オリンピックそのものではないだろうことは容易に想像がつく。オリンピックに直接関係しない繁華街の人出は減らなかったようなのだから。そのほうが問題だ。
あるタレントが、国民には緊急事態宣言で会合の自粛やステイホームを呼びかけておいて、一方で国際レベルのお祭り騒ぎか、などとテレビで言っていたが、それこそが安っぽいポピュリズムだ。こんなことを公の電波で堂々と言うものだから、オリンピック開会前の世論調査では開催について「やらないほうがよい」という否定的な意見が過半数になった。ところが、閉会後の世論調査では「やって良かった」という肯定的な意見が過半数だという。あれだけ開催に批判的だったマスコミも始まってしまえば、やれメダルラッシュだ、やれ史上初だともてはやすわけだから、結果はそんなものだろうと思う。
私はスポーツにはあまり興味のない人間だ。しかしながら今回のオリンピック、そもそも何故やるのかを考えさせられた。それは開催そのものよりも政治家、主催者の言い分だ。
クーベルタンがオリンピックの理念としたのは大きく2つである。
第1に、スポーツは人間をつくるものだからアスリートそれぞれ参加するまでの過程が重要であること、
第2に、スポーツをとおして人と人とが交流することをもって世界平和のために資すること、である。
それを称して「オリンピックは参加することに意義がある」と、私は小学生3年生の時に前回の東京オリンピックで学んだ。
それが、復興五輪だの、経済活性化の起爆剤だの、余計な理屈を付けるから、コロナウィルスの影響が出たらどうするのだと反対の理屈もまた付くことになる。
先のブログにも書いたが、オリンピック開催で国内の感染者が劇的に増える証拠があるならば、中止や延期も選択肢としてあるだろうが、それがない限りはやめるわけにはいかないのは常識的知見だと思う。政府の説明にこれらの根本的意義の論調がほとんどなく安全安心などと言うから、今回のオリンピックが今ひとつ盛り上がらなかったのだと思う。「私も中学生の時にバレーボールで金メダルを取る姿に感動しました」などと、国の最高責任者が国会で答弁するから国民がしらけるのも無理はない。居酒屋での会話なら盛り上がるが。
今になって税金の無駄遣いだったという論調もあるが、それは誘致の段階で議論すべきことだ。
要は、世界平和のためにIOCが主催するオリンピックの場を提供したのが東京オリンピックだったわけで、これは日本の国際公約だったのである。やって良かった、やらないほうが良かったというポピュリズムの問題ではない。強いて言うなら、世界平和に役立ったかを反省すべきだ。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )