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2021 年 8 月 11 日

東京オリンピックに思うこと(その2) - マスコミの厚顔無恥な一面

 オリンピックが始まれば、マスコミもメダルラッシュだの、金が何個だの、史上最高だのとおめでたいニュースを連ねる。社説で開催反対を明言した新聞でさえだ。マスコミの厚顔無恥な一面を今回も見た。

 厚顔無恥といえば、思い通りの結果が出せなかったアスリートにも競技直後にインタビューをするあの残酷さ。テニスの大坂選手が提起した問題を思い出す。
 男子100メートル走では、出場した日本人選手全員が予選で結果を出せなかった。あるテレビ局は、その中の一人の実家の茶の間にまで中継を出し、両親にインタビューを敢行した。「いかがですか」予選落ちという信じたくない結果の直後だ。お母さんは目に涙を溜めてしばらく答えがなかった。絞り出すような声で「これまでのことを皆さんに感謝します」と。お父さんは涙と悔しさであろう、最後まで声にならなかった。それでもインタビューするキャスターは、なんとか発言を引き出そうと質問を浴びせていた。この国はいつから人の気持ちを踏みにじるマスコミを許すようになったのだろうか。私はチャンネルを変えた。

 メダルを取ることに意義がある。もちろんそうだ。しかし、銀メダルで納得できない選手もいれば、銅メダルで人生最高の喜びを感じる選手もいる。オリンピックに出られただけで幸せを感じる人もいる。人はどのような気持ちを持とうが自由なわけだ。私はスポーツへの造詣が深くないから、そういうアスリートの気持ちを実感できないが、オリンピックは参加することに意義があると教えられてきた年代の者として、メダルを取れずに泣いている選手に「どうでした」と、メダルを取っても喜んでいない選手に「おめでとう」と、どちらのインタビューも失礼なことと思い、複雑な気分だ。

「オリンピックは参加することに意義がある」クーベルタン
「勝って兜の緒を締めよ」藤猛
「悔いはないかい。生きたかい。それを自分に聞いてみよう」森田健作
「ばかやろう。悔いがあるから青春なんだ」落合恵子
 以上は、子どもの頃から中学生の頃までの時期に私の心に残っている言葉のいくつかである。人の気持ちは人それぞれだ。

 Fテレビ局では情報番組の中で、結果を出せなかった選手についてのコーナーを構成していた。それは直接のインタビューではなく、それまでの努力の過程と今回の結果を映像で淡々と訴えかけるものだった。見る者がその現実を自由に感じる材料としての報道、これがマスコミのありかたではないか。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )