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2021 年 8 月 12 日

東京オリンピックに思うこと(その3) - 良かったこと、残念だったこと

 私は普段からスポーツ観客の応援のあり方に疑問を感じている。例えば、野球では9回ツーアウトにでもなれば「あとひとり、あとひとり」などと大合唱、サッカーでは始まってから最後まで「おおー、おおー」などと跳びはねと大合唱、これにリズムや抑揚がつくとやるせない感じになる。往々にしてホームチームの応援団がこれをやる。アウェイの選手に失礼だろう。野球の「あとひとり」は心の中で思うに留めてほしいものだ。試合を注視しないお祭り騒ぎのような応援は品がない。

 今回の東京オリンピックは、ほとんどが無観客だった。観客を入れていれば多くは同じようなことになったのではないか。ホームである日本開催だから「ニッポン、ニッポン」の大合唱だったろう。私はそういう意味では、今回が無観客で良かったと思う。静かなので徒手の風切り音などの音が聞こえた。観客の声援が励みになる面もあるだろうが、少なくとも日本以外の国の選手は競技そのものに集中、より真剣な勝負ができたのではないだろうか。直接観覧して観客が感動できなかったのは残念だが、それはそれでよかったのではないかと思うのだ。

 一方、今回のオリンピックで一番残念だったことは、外国人との交流がなかったことだ。オリンピック開催の意味は競技場の中だけのことではない。世界中から多くの人がやってくること、これも世界の人々が理解し合う大きな要素だろう。
 選手は日本全国の自治体に割り振られ、事前合宿など各地で活動する。事前合宿がなくても、ホストタウンに選手が来れば子どもから年配者までオリンピックならでは交流経験ができたはずだった。今回はほとんどの事前合宿は中止。一部の競技者は行ったようだが、ホテルと練習場の往復隔離で地元民との交流はほとんどなかったらしい。
 ちなみに私の住んでいる大田区はブラジル選手団のホストタウンだったが、街中でその国の人々を見ることはなかったし、私の周りではイベントも何もなかった。大田区は羽田空港があるので、何ごともなければ空港や蒲田駅周辺には羽根つき餃子目当ての外国人観光客が多くいたはずだった。また、多くの観光客は日本に来れば、京都や大阪、広島や長崎、九州や北海道にも立ち寄ったはずだった。各地のおみやげ、食事をとおしてこの国への理解が深まったはずだった。

 私も含めて日本人は外国の人とのコミュニケーションがうまくできない面もあるが、スタッフやボランティアでなくても、商店の店員は外国人とのコンタクトがあっただろう。路上で一般の人が道案内などの経験ができただろう。日本人の生真面目さ、一所懸命さ、心配りは、問い合わせへの対応、ホテルの接客、コンビニ、デパートなどのアテンドをとおして海外の人々に感動を与えることもできただろう。身近でそういうコミュニケーションがあれば、何より子どもたちには良い経験になったはずだ。
 我が国への経済効果という話ではない。オリンピックは世界の人が集まることで多様性への理解を促し、それをもって世界平和へ資するわけだから、それがなかった点は競技とは別の視点で、意義の半分以上が失われた大会だったのではないか。時代が与えた運命、それが最大の残念だ。

 もう一つ、残念なこと。それは自分。
 今回の東京オリンピックには、205の国や国際機関が参加したという。私は地球上には200以上の国家があることは知っているし、それほど常識がないわけではないと自負してはいたが、それでも開会式の時はショックだった。この国はどのあたりだったろうと、多少はうろ覚えでも国の名前くらいは聞いたことがあるという自信があったのだが、それは名前を聞いたこともない国の選手団が出てきた時だった。
「アルバ」時計のブランドか、シルバニアファミリーは知っているけれど、
「アンティグア・バーブーダ」オーブントースターのメーカーか、
「アンドラ」ベルサイユのバラに出てきそうだな、
「エリトリア」エストニアは聞いたことがあるけど、
「カーボベルデ」、「コモロ」、「スリナム」、「セントルシア」、「ブルキナファソ」、「ブルンジ」、「レソト」、
このブログを読んでくださっている皆さんは、これらの国の名前を聞いたことがあるだろうか、地球のどの辺にあるのかお分かりだろうか。
私は聞いたこともないので全く分からない。
残念な私だ。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )