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2021 年 8 月 25 日

老朽原子力発電所 ― そんなものはありません

 今年6月、関西電力美浜原子力発電所3号機が再稼働した。世間は新型コロナウィルスのことや東京オリンピックの話でもちきりだったので、世間一般には大きな話題にならなかった感がある。が、これは大切なこと。
 福島第一原子力発電所の事故のあと、国内で40年を超えた原子力発電所の再稼働は全国で初めてのケースである。厳しい規制を乗り越えて再稼働にこぎつけた関係者は感慨深いことと思うが、私はある意味で当然のこととして見ていた。動かすべきものは、当たり前に動かすべきものだからだ。

 10年前の東京電力、福島第一原子力発電所の事故のあと、国内の原子力発電所は運転期間が原則40年に制限されている。その上で国の審査に通ると例外的に最長60年まで運転延長が可能となるという。このわけの分からないルールを作ったのは当時の政権だ。
 そもそも、原子力発電所の運転は何故40年に制限されるのか、60年が本当に寿命なのか、そのことについての科学的根拠は何もないという。まだ使えるかどうかは別にして、とにかく使ってはいけないのだと、当時の世論に忖度して根拠もなく数字を決めて規制してしまった。何とも何とも不幸なことだ。

 家でも自動車でも40年も経てば古くなって傷むだろう、というのは一面的には確かにそうだが、感情論にすぎない。だったら、木造建築の法隆寺は1000年以上ももっているではないかと言いたくもなるが、これも感情論でしかない。こういった考え方に同調することを、私はポピュリズムという。
 車だって乱暴に使えば数年で故障するし、建物でもいい加減な施工をされれば数年でガタがくる。要するにそのものによって違うのだ。
 大切なことは、使用期限の判断はそれぞれの個体をその都度、科学的、技術的にチェックすることである。どの部分が傷んでいるのか、またこの先傷む可能性があるのか、ではどのように補修すればいいのか、その結果どのくらいの負荷に耐えうるのか等々、根拠をもって判断する。その結果、補修するより廃止したほうが良いというなら、それはそれでその時に寿命がきた、と決めればいいことだ。

 外国で原子力発電所の寿命を一律に決めている国は一つもないという。多くの国は、例えば40年を過ぎたら10年ごとに重度の点検整備をして、次の10年間安全に使えるかどうかを判断するというように、技術も進歩するので、その時点での最高の知見によって決めるというのだ。結果的に50年で廃止することになるかもしれないし、100年使うかもしれないわけでこれは理屈が通る制度だ。
 一次エネルギーをほとんど持たない日本にとって、エネルギー問題は国の根幹だ。多額の投資をして確保した電源プラントは、水力だろうが火力だろうが原子力だろうが、根拠のないポピュリズムに惑わされることなく、長く大切に使うべきである。

 一部のマスコミが40年経った原子力発電所を「老朽原発」と称して報道しているが、とんでもない無知をさらけ出しているようなものだ。それとも卑劣な世論操作か。
 私は原子力の専門家でもなければ電気や機械、素材の専門家でもない。しかし、仕事で電気事業に関わり、エネルギー問題に興味を持ち、日頃からそれなりに情報を収集し、様々な出版物を読み、全国の原子力発電所にも100回以上は行っているし、関係者とも話をする機会がある。大学は工学部卒業。一般的な人々よりは多少の知見はあると自負する。
 原子力に限らず、日本の発電所は計器、操作機器類、部品、配管などの部材、電源設備、バックアップシステムなどを定期的に更新している。コンクリートは素材としては100年以上もつ。配管や金属製容器は応力腐食割等の金属疲労のリスクはあるが、その都度それぞれ測定し更新すればいい話だ。建設から何年経とうが、日本の発電所は、常にその時点での最先端技術を導入しているので、その後にできたプラントより新しい面も多々あるのだ。
 日本には「老朽原子力発電所」は一つもない。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )