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2021 年 11 月 28 日

東京ヤクルトスワローズ・日本一 - 感激、20年ぶり

 東京ヤクルトスワローズが、日本シリーズを制して今シーズンの日本一になった。ファンとしては嬉しい限りである。初戦の村上選手のホームランや、6戦目の川端選手の代打決勝ヒットなど、見ていて涙が出た。泣けた。子どもの頃からのファン歴54年、その間リーグ優勝8回、日本一6回目なので、まあ滅多にあることではない。素直に喜ばせていただきたい。

 私が東京ヤクルトスワローズを好きになった経緯やファンでいる理由は、以前のブログにも書いているので是非お読みいただきたいが、最近はヤクルトに限らず、ご贔屓チームのファンも昔とずいぶん様相が違うようだ。良いとか悪いとかではなく、隔世の感がある。一言で言うなら、応援に悲壮感がない。

 ヤクルトスワローズの初めての優勝は昭和53年(1977年)、広岡監督の時だった。それまで国鉄、サンケイ時代からも12球団で唯一リーグ優勝がなく、ほぼ毎年セリーグのBクラス。テレビの中継は巨人戦ばかりで注目もされず、それも悲壮感。私が最初にファンになった当時はサンケイの時代、その後ヤクルトになった。フジサンケイグループのニッポン放送が多少は試合を中継してくれたが、負け試合で悔しい思いをすることが常だった。今は巨人の試合もテレビの地上波ではやらないけれど、BSやCS、インターネットも含めれば、ほぼ全試合リアルタイムで見ることができるし、途中経過が分かる。ありがたいことだ。

 当時の神宮球場には、岡田さんという名物応援団長がいた。岡田さんは看板屋を営む職人さん。後にテレビで見たが、夕方になると仕事を終えて毎日神宮球場へ。収入の8割は野球につぎ込むというおじさんだ。当時の応援は、ほぼ手拍子で、応援団長とお客のやりとりも面白かった。記憶に残っているのは、負けた試合の直後「ベトナム戦争の終わりが先か、ヤクルトの優勝が先か!」と、ギャグを叫んでいた。
 この岡田さんが、お客とともに何か目立つことはできないかと考えたようで、たまたま何人かのお客がビニール傘を持っていたので、それを広げて上下に動かすように指示した。後に、東京のチームだからと東京音頭をトランペット隊が演奏し、これが今のヤクルトの応援スタイルにつながっている。

 テレビ中継など見ていると、今は持参したビニール傘ではなく球団グッズとして売っている傘、お客が着ている服もご贔屓選手のユニフォームが多い。さらに、選手名や応援メッセージが書かれている複数のスポーツタオルを持ち、それを臨機応変に取り替えて掲げている。ずいぶんお金がかかっているようだが、皆幸せそうに応援する。悲壮感はない。

 サンケイ、アトムズ、ヤクルト、東京ヤクルトと、球団名が変わる時代からのファンとしては、勝てなかった時代、報道されなかった時代、地味な応援の時代など、昔の悲壮感がベースにある。だから、今回の日本一、最近のファンより数倍嬉しい、かな。
 私のいう最近のファンとは、野村ヤクルトのあたりからのファン。あ、その頃からすでに約20年以上、ふた昔か。失礼しました。これからも一緒に応援しましょう。とにかく今年はよかったですね。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )