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2022 年 1 月 10 日

幸せはいつも自分の心が決める その2 - 今年の始めに考えたこと

「1年の計は元旦にあり」
 子どもの頃、父からこの言葉を何度も聞いた。だからといって具体的な発言を求められた記憶はないが、今年の目標を立てなさい、何かをするという計画を立てなさい、ということだったと思う。学校の先生からもそんなことを言われた記憶がある。
 最近はこの言葉を聞かなくなった。私がいい歳の大人になったから誰もそれを言ってくれないのだろうか。それもあるだろうが、私たちは社会全体に日常生活の中で目標を持てなくなったのかもしれない、とも思う。それは言っても仕方がないとしらけているのかもしれないが、豊かさの裏返しではないだろうか。あえて目標を口にすることがなくても、そこそこの幸せを感じる豊かな社会だからだろう。

 新年を迎え、私にも何通もの年賀状が届いた。普段会わない人からの便りは嬉しいものである。が、年賀状だけのやりとりですでに30年以上も会っていない人もいるわけで、そのような方の中には多分この先も会うことがないだろう人もいる。年賀状にどれだけの意味があるかといわれれば、結局は自分のその人への思いでしかない。会うことがなくてもどこかでつながっていたい、そんな人への人の便り、それはそれで良い。反対に努力してでも会いたい人から、今年で新年のあいさつは終わりにする旨の記述があると、それはそれで寂しいものだ。

 年賀状に「今年は良い年にしたいですね」と書いてくる人がいる。これが一年の計に当たるのかもしれない。するとあなたは昨年は良い年ではなかったのですか、などと皮肉を言うつもりもないが、良い年かどうかは自分の心が決めることである。他人に言われる筋合いはない。
 それは人生ですから毎年いろいろな事があるけれど、私は毎年良い年ですよ、あなたがこうして年賀状をくれるし、オフィシャルでもプライベートでもいい人に囲まれているし、何よりも愛する家族がいるのですからと、意地悪な突っ込みを入れたくなる。幸せな私にとって、この言葉はあまり感動がない。仮に自分が不幸だと思っている人があれば、この言葉はつらいだろう。幸せはいつも自分の心が決めるのだから。

 そういうことを述べてからあえて申し上げるが、私は今年も良い年にしたいと思う。幸せはいつも自分の心が決めるのだから、それなりの気構えを持たねばならないのだ。気構えとは、必ずしもあれをしよう、これをしようなどと挑戦的、野心的であることではない。
 私も昨年、33年間立場を持っていた会社を清算した。直接的には新型コロナウィルスの影響だが、もっとやりたかったという気持ちも100%、これも神様が与えてくださったきっかけという気持ちも100%だ。仕方のない決断、納得しての決断だ。
 人生も後半に入れば、周囲の方々に対しては、こんな私にここまでしてくださって、ここまで夢を見させてくださって、という感覚で良いのだと思う。自分に驕らず、他人を妬まず、謙虚に己の足(タル)を知ることに努めよう。そうすれば、きっと今年も良い年になる。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )