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2022 年 4 月 6 日

御礼の意味(その2) ― お礼の仕方

 前回の本欄で御礼の意味について考えてみた。そういうわけで、私はよほどのことがなければ、人の恩に対していわゆるお返しをしない。お返しをすることで、なんとなく義務を果たしたことになり、恩が薄れてしまう気がするからである。恩やお礼は心のありようであって、決してお金や品物で置き換えることができないと信じたいからである。

 では、セキネは他人からの親切、恩に対して御礼、お返しの贈り物をしないのか。ケチな奴だと言われそうだが、そうではないつもりだ。問題は御礼やお返しの仕方である。そもそも御礼は気持ちだから、まずもってその気持ちを強く持ち、その思いを言葉で伝える。それから数ヶ月、1年でも良い、しばらくしてから「あの時は……」と贈り物をする。時間が経って覚えていることで気持ちが伝わる気がする。
 お礼の贈り物を送るタイミングは不定期である。もちろん「何かとお世話になりました」「つまらないものですが……」などと安っぽいことは言わない。人生であなたに出会えて本当に良かったという気持ちでする。だからそれはいつでも良いわけだ。

 恩を受けた直後に贈り物をしないので、世間でいういわゆるお返しとは少しニュアンスを違えている気がする。美味しいものに出会ったとき、また自分がこれはと感動したときに、正直に「価値を感じて贈ります」との趣旨の手紙を添える。贈るのは多くは食べ物である。自分の価値観なので相手が迷惑なこともあるかもしれないがそれは仕方ないことだ。誰でもありがた迷惑はある。
 すると、どうしてもお返しをしないと気が済まない人から、心の重みを感じないお返しが来ることがある。こちらが贈った物に対して、せめてありがとうの一言でも、美味しかったの一言でもあれば良いが、多くは全国どこのデパートでも売っている一般的なお菓子が即刻に届く。こちらの思いが通じなかったことに寂しさを感じる。腹を立てることもめんどうなので諦めているが、もうあの人には贈り物をするまいと決意する。納得できないいただき物については、その後に応分の寄付をすることにしている。あしなが育英会が多い。この団体には年間を通じて寄付をしているので追加である。

 40年近く前になるのだが、私の父が56歳でこの世を去った。当時、一般的に葬式の香典返しは金額の50%だといわれた。喪主を務めた私は、御霊前をいただいた方にお返しはしなかった。相当額を当時の国立がんセンター病院に寄付した。その旨をプロに頼んで書いてもらった巻紙風の書状にしてお送りした。一部親戚筋からは「そういうことをすべきでない」などと批判も出たようだが、父が若くしてガンで亡くなったことに関して、少しでも社会に役立てたい気持ちを通したものだ。その後、日本財団などが「冠婚葬祭の返礼は寄付で」とのキャンペーンをしているようだが賛成だ。
 その後の私の生活で、冠婚葬祭のお返しに寄付をしたという話は身近に聞かない。そのような場合、私の家にも相変わらず品物が届く。シーツだのタオルだのが多い。それらが使われない状態でかび臭くなったものが、私の実家の押し入れからはたくさん出てきた。こんなにむなしいことはない。最近は不祝儀のカタログギフトも届くが、今の私に必ずしも必要なものではない。辞退できないかとカタログギフト業者に問い合わせたら断られた。

 そういう私も娘が生まれた時には品物でお返しをした。双子だったのでペアにちなんだ食器やテーブルウェアなど。もらった人には“使えない”と思われたかもしれないが、私の親バカ、子どもに甘い性格、自己満足だったと思う。でも、これは内祝いであって、出産祝いのお返しではないという理屈。娘が結婚したことに際して、そんな贈り物も懐かしい。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )