2022 年 10 月 17 日
TOWAピュアコテージ ー 藤和那須リゾート
私の社会人のスタートは藤和不動産株式会社だった。建築学科卒業の知見を生かして住宅に関わる仕事がしたかったことと、有名企業に入りたかったこと、東京の中心地で働きたかった見栄、そんなこんなで受けてみたら幸運にも受かった次第だ。
当時の藤和不動産は、分譲マンション年間供給戸数で業界2位。今も御徒町駅から西方正面に見える湯島ハイタウンや、私も関わったことのある東中野にある小滝台マンション建て替えプロジェクトなど、テレビで取り上げられた物件も多い有名企業だった。
就職した時には「藤和不動産に決まりました」と言うと、世の人々は「あのサッカーで有名な……」という反応が返ったものだ。今も解説でテレビに出ているセルジオ越後氏は藤和不動産サッカー部の看板選手だった。もっとも私の就職時点では、親会社フジタ工業サッカー部になってはいたが。
その藤和不動産の有名な事業が那須の別荘地、藤和那須ハイランドだ。那須岳南側の広大な土地を別荘地として開発し、那須といえば藤和不動産、藤和不動産といえば那須という時代もあったという。現在も北日本最大の遊園地である那須ハイランドパークも藤和不動産の経営だった。私の新入社員の合宿研修も那須ハイランド別荘地内にあった山小屋風のロッジで行われた。
その別荘地開発事業が1970年代のオイルショックで負の財産となり、主力のマンション事業も1990年代のバブル崩壊で多額の負債を抱えることになった。藤和不動産は倒産こそしなかったが、メインバンクだった三菱UFJ銀行の救済を経て、三菱地所レジデンスと名前が変わって今日に至っている。
私は藤和不動産には足かけ7年、実質的には6年しかいなかったが、さまざまな経験をとおして社会人の基礎、人生の基礎を学ばせてもらった。用地交渉から竣工まで、その過程を手がけたマンションがいくつかあり、もちろん今も多くの人が住んでいる。社会人としての経験の相当が藤和不動産時代の6年間だったと言っても過言ではない。私にとってかけがえのない会社である。
その藤和の名前が唯一、今も残っているのが藤和那須リゾート株式会社である。この会社は発足当初から那須の開発、別荘地の販売事業を行っており、その後三菱地所レジデンスの経営になったが、数年前に日本駐車場開発に売却され今日に至っている。経営は変わったが、藤和の名前が残っていることが嬉しかった。
私の在職中に始まった「TOWAピュアコテージ」という宿泊施設は今も営業している。在職当時はカタログの写真で見た限りだったそのコテージに、先日初めて行ってみた。白い2階建ての連棟式の建物は昭和の時代の最先端。古くなってはいるが改装もされており、部屋には暖炉があるのでそれなりの風情はある。平日であったが多くの宿泊客がいた。フロントやレストランは5分ほど歩いた場所にそれぞれ別棟になっており、洋食レストランは私の在職当時は若者の憧れ「イタリアントマト」だった。
退職してから40年にもなろうとしているが、そこここに私の思い出がある、また行きたい衝動に駆られる地だ。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )