2022 年 11 月 16 日
男の顔は履歴書である ― 政治家の答弁で感じたこと
「男の顔は履歴書である」評論家、大宅壮一氏の言葉である。
もっとも今時では、顔で人を判断すべきではないと批判もされそうだ。が、言い得て妙、と思うのは私だけだろうか。
この言葉の趣旨は差別や表面的な判断を言っているのではない。社会に生きる身として40代にもなれば迷わず、それなりの責任を負って社会のために尽くすべきという、そういう意味だろう。含蓄のある言葉だと思う。鎌倉の瑞泉寺境内に、この言葉の碑がある。
それに対して「女の顔は請求書」と言ったのは藤本義一氏と言われているがこれはパロディだ。
最近辞任したY経済産業大臣の記者会見、国会での答弁が問題になった。ある宗教団体との関係を問われて、ことごとく「記憶がない」「記録がない」の一点張り。マスコミから新たな事実が出てきてもそれを言い張る。
宗教団体のカリスマ的トップの人物と同席し、隣で記念撮影までして記憶がないとは不可思議だ。同じ団体の主催で同じトップの人と外国に行き、スピーチまでしても記憶がないとは、これも不可思議。しかもほんの数年前の話だ。我が国の国会もバカにされたものである。だいいち、その教団の方にも人として失礼な話である。
Y元大臣の事務所では、政治活動の記録を1年ごとに捨てるという。政治家が自分のその裏付けとなる経理書類には保管の義務はないのだろうか。
私は30年以上会社を経営してきたが、経理の書類でも3年、5年、10年と保管している。私は会社を一昨年に解散し昨年に清算したが、万が一のことがあるといけないので、会社時代の決算書類、帳簿類は3年程度とっておいて欲しいと、税理士から言われた。
少なくとも経理に関する書類があれば、交通関係の領収書から○月○日にどこにいたかの記録は立証できるはずだ。常識といえないことを毅然として言う。あきれる限りである。この政治家のインタビューや国会答弁をテレビで見て思い出したのが冒頭の言葉である。
「男の顔は履歴書である」
代表
関根健夫( 昭和30年生 )