2023 年 2 月 17 日
政治家の劣化 ― 自分がやる気もありませんが
今の政治家について、ここで論じることも情けないと思うのは私だけではないだろう。多くの方が発言する気持ちすらなくなっている、しらけているのではないだろうか。
昨今、特定の宗教団体との関係が取り沙汰されている議員が話題になったが、今の政治家は当選のためにはさまざまな団体の支持を受けているのは常識だと思う。極端にいえば支持を得られる団体をいくつ持てるかが当選の条件なのだろう。かの宗教団体が限りなくブラックに近いことはともかくも、多くの政治家がいろいろな団体と関係を持っていることは間違いない。その中には経済、企業、労働組合、宗教、消費者などいろいろだろう。私には、その意味ではどの政治家も五十歩百歩のような気がする。結局は政治家の活動は、次の選挙の集票が最大の関心事なのだろうか。
林家木久扇という落語家がかつて全国ラーメン党という団体を組織し活動したことがある。政治活動が目的ではなく木久蔵ラーメンというブランドの宣伝普及が目的の活動である。当時の大物政治家に陳情を行った際に、全国数百のラーメン店で組織されていることを告げた途端に対応が変わったという。こういうエピソードは今もあるのだろうか。
政治家とは、団体の利益を聞き、支持を得る存在ではないはずだ。本来は自らの信念をもって広く有権者を説得する、その結果として支持が得られる、そんな気概のある政治家が少ないような気がする。
政治家は自分の地盤地域への利益誘導ではなく、国家の体制を論じるべきなのだ。外交、防衛、エネルギー、憲法、これらのことを議論することが政治家の仕事ではないのか。しかし、そういう話題は票にならない。
N党やR新選組の議員はすでに論外。国会での発言や報道の話を聞いていても小学生レベル、それ以下、違和感しか覚えない。その問題の本質を論じることなく、だって他人も……、だって他に使えば……、などと議論をすり替える。人としての能力、品性の欠如。
こんな議員が国民の代表で、年間3000万円の歳費と数億円にも上る政党助成金を支給されている現実。国会に行かないということを公約に掲げた人が当選するという情けない現実。結局、政治家の劣化は私たち国民が劣化しているからかもしれない。
まずは、アメリカの3倍とも言われる国会議員の数を減らすべきだと思う。それこそが身を切る改革だろう。数が多いから余計な議員を抱え玉石混淆になる。
だったらお前がやれ。私にはその気もありませんが。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )