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2023 年 5 月 25 日

平泉に行って来ました ― 強者どもの夢の跡

 平泉中尊寺、金色堂が世界遺産に登録されて有名である。平安時代末期に東北地方で栄華を極めた藤原氏の拠点。一度は行ってみたいと思っていた。妻も同じ思いだということで、今年のゴールデンウィークに行ってみた。

 中尊寺には車で、正面からではなく裏山の道からのアプローチ、近づくにつれて山全体が中尊寺の境内になっていてさすがに広大な敷地であることを実感。さすがはゴールデンウィーク、朝9時30分で正面も裏手側も駐車場は満車だったが、臨時にバス駐車用のスペースに誘導されて待たずに止められた。
 入り口から参道を上ること20分、○○堂と複数ある御堂を過ぎて中尊寺本堂に到着、参拝。さらに目指す金色堂はその先、鉄筋コンクリートの覆堂の中にある。金堂自体はそれほど大きな建物ではないが、藤原氏4代の遺骸が眠っている内外に金箔を張り詰めた堂は、ガラス越しではあるが圧巻だった。中尊寺の伽藍は小高い山の頂で、開けた場所から見ると新緑の山々の絶景。一度は来てみるべきと満足。

 この町には、毛越寺という国宝もあり、藤原氏の菩提寺だそう。中尊寺の山麓からは車で10分ほどの距離。こちらは当時の建物は残っておらず、池を中心とした日本庭園が中心の体だが、当時の想像図を見るに、京都宇治の平等院を思わせる、姿の良い壮大な伽藍であった様子で、いにしえに思いをめぐらせるには十分だ。

 その後、県が最近造った平泉世界遺産ガイダンスセンターへ、この場所からは平泉町が一望できる藤原氏のゆかりの場所。Y字の中心の線のあたりにあり、右斜め前方に中尊寺、左斜め前方に毛越寺、正面には藤原氏の本拠があったという。街全体はそれほど大きなものではなく、藤原氏の本拠も敷地にご仏堂、母屋、厩が点在して塀で囲っていたようで、その後の時代の城郭とは違い小規模である。

 栄華を極めた藤原氏というからさぞかし壮大な屋敷、街並みを想像していたが一目で見える範囲。それでも当時は大変なものなのだろうけれど、ここにどれだけの兵がいたのか。藤原氏は平安時代末期、源頼朝によって滅ぼされるのだが、何となくこの規模では防げなかったのだろうと思いをはせる。もっとも、この時代の戦は戦国時代のような何万何千の兵が陣形を作って戦うのではなく、個人戦の意味合いが濃かったのだろう。
 この見える範囲で、山に囲まれたそれほど広くもない平地で、栄華を極め、戦って滅んだ藤原氏。まさに「強者どもの夢の跡」という実感であった。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )