2023 年 6 月 18 日
献血のススメ ― どうやら本当に足りないらしい
私は献血を年に2~3回の割合で行っている。普通自動車の運転免許を取った18歳から、自分も病気や事故でいつ輸血のお世話になるか分からないわけだから、ボランティアというか、正義感というか、なかば義務と思ってそうしている。大学の構内に定期的に献血バスが来ていたこともきっかけの一つだ。
ここ数年は、仕事のついでで各地、広島や千葉の献血ームを利用することが多い。広島は街の中心部アーケード街の入り口にあるし、千葉はJRの駅に隣接したモノレール駅の構内にあるので夕方に研修が終わってのタイミングにちょうどよいのだ。住まいは東京だが、日本の一国民としてどこでやってもよいだろう。
先日、広島の献血ルームのお世話になった。ここは過去に何度も利用しているが、いくつかの点で雰囲気の変化を感じた。
献血ルームのすぐ脇は本通りアーケード街の入り口、そこで2人の女性職員がプラカードを持って献血への協力を呼びかけていた。献血の呼びかけはどこでもありがちなのだが、この献血ルームの前で行っているのは私にとって初めての光景。そこには血液不足の非常事態を訴える内容。
受付で申込みをする際、こちらは全血400㎖のつもりでいたが、時間が許せば成分献血に協力してくれないかとの依頼。成分献血は概ね1時間かかるが、血液から必要な成分を抽出して、赤血球他の多くを体内に戻すので体への負担が少ない。お役に立つのであればと承諾した。
ベッドの前には、成分献血は年間24回できますとの表示があり、採血中も看護師がこちらの体調を気づかってくれると同時に「年に24回とは言いませんが、月に1回程度お願いできませんか」と言ってくる。こちらが「東京から仕事で来ているので毎月は無理です」と返すと「あ、そうだったのですか」と。
採血が終わって、献血カードを返してくれる事務職員からも「本日はありがとうございました。来月もお願いできませんか」と。「東京から仕事で来ているので……、次は秋ですね」などというと、先方も先ほどと同じ返しをしてくる。個人情報ということで、私の住所は採血の現場には伝わっていないようだ。
献血の不足は、相当に前から叫ばれていることだ。かつての薬害エイズも国内の血液が足りないから血液製剤をアメリカから輸入して起きたことだ。以前に東京都赤十字血液センターの職員研修を行ったこともあるので、職員の気持ちも漠然とは承知している。コロナウィルス騒動で街中から人がいなくなったときも、献血者が足りないということであえてその時期に協力した。今回の献血と前後して千葉の献血ルームからも勧誘の電話が直接に来た。どうも最近は各地で緊迫しているらしい。
血液は輸血だけではなく血液製剤として活用される割合が多い。例えばガンの治療に使う薬品も献血がなければ成り立たないという。治るべき病が薬品不足で治らないというのは切ない話だ。
私の今回の献血は126回目。献血は70歳になる誕生日の前日までしかできないので、私はあと1年4ヶ月だ。少子化の時代、私より若い人には是非やっていただきたいと、あらためて思った次第である。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )