2023 年 7 月 29 日
品性の陶冶 - 教育の原点
私は工学部建築学科の卒業である。一方で教育にも興味があり、大学では教育関係の授業にも出席して単位を取得した。教育原理という授業があった。教育とは何かという根本的な問題をさまざまな面から講師が講義し、学生にも何かと発言を求められた。当時は学生運動の余波のあった時代で、そのほうの活動家が講師に反論し、時に授業が中断した。私は1年生で18歳、大学の講師に食ってかかる光景を見て、恐ろしい思いをしたことを覚えている。
その講義で心に残っている言葉がある。
「教育とは品性の陶冶(とうや)である」
今、講師という仕事をしている私にとって、ある意味で心の支えになっている言葉の一つだ。
人間にとって品性とは何か、何をもって品性を感じるか、これには人それぞれ様々なだろう。知性と教養を感じさせる言葉づかいの美しさ、マイナスの感情を表に出さない心の奥ゆかしさ、芸術への興味や知識等々、私たちが持ちうる品の良さ、道徳的な価値、これらについて完成されている雲の上の人というより、自分もああなりたいと憧れるくらいの距離感だと思う。だからそれに向って努力する。
陶冶とは何か。広辞苑によると「人間の持って生まれた性質を円満完全に発達させること。人材を薫陶養成すること。」とある。では、薫陶とは何か。「徳を以て人を感化し、すぐれた人間をつくること。」とある。
つまり、教育とは単に何かを教えるのではなく、教える側が徳をもって人格的に感化するのである。だからこそ、講師とは立場や理屈ではなく、徳をもった人間であるべきだ。教える側こそが自分をより良くする、自分の品性を高める努力をすべきだということだ。
また、感化するのであるから、講師、教師とのコミュニケーションから感じるものを得ていただくこと、講義や授業の場だけではなく、あらゆる場面での気づきや憧憬をもって、その人が自ら人間として完全円満を目指すことともいえる。
私には我が師と思っている人がいる。町田宏先生。10年ほど前に亡くなられたが、まさに薫陶を受けた師である。師の人間関係は私にとって目指すべき人間関係だったし、食事の仕方、パーティの開催、ボランティア活動、外国文学、絵画や書といった趣味など、まさに憧れ近づきたいと思うほどの品性を感じるものであった。先生は直接的にはこうしろとか、こうすべきとかはおっしゃらなかったが、あらゆる教育は品性を磨き品格を高めることにつながるべきであると、私には大いにそのことを感じさせてくれた。
学生時代に出会った「品性の陶冶」という概念が、町田宏先生に引き合わせてくれたと思っている。
人は皆、長所もあれば短所もある。完全な人はいない。少なくとも皆がより良くなりたいと思って生きているだろう。そのために、学校教育、家庭教育、社会教育がある。それを越えて自分から学ぶこと、生涯にわたって自らの品性を高める自己啓発の努力が人として必要なのだ。
その姿を見て、また誰かが何かを感じてくれる、微力ながら多くの人に良い影響を与えられる、そんな品格を目指して努力したい。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )