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2023 年 8 月 31 日

古関裕而記念館に行ってきました - 我が母校、校歌の作曲者

 福島市の研修があり、前日に古関裕而記念館に行ってきた。2年ほど前にNHKの朝ドラ「エール」で取り上げられて有名になったが、私の世代では氏はテレビの歌謡番組にもよく出ていたし、何と言っても東京オリンピックの入場行進曲が忘れられない。福島市の名誉市民でもあり、大正から昭和にかけての日本を代表する国民的作曲家といわれた人である。

 生涯5000曲以上を作曲したというが、有名な曲を上げたら切りがない。
 「暁に祈る」「若鷲の歌」「ラバウル航空隊」これらは、父の影響で子どもの頃から聞いていた。当時は意味も分からず、単に飛行機、カッコイイ程度であった。私は今も歌える。
 「長崎の鐘」「イヨマンテの夜」「高原列車は行く」父の世代のナツメロだが、私の好きな歌だ。「こよなく晴れた青空を、哀しと思う切なさよ」の歌詞は原爆によって多くの家族を失った長崎の人の心に響いただろうし、これほどまでに切ない思いを感じさせる楽曲はない。
 「夢淡き東京」「君の名は」「モスラの歌」など、今も話題はつきない。
 「栄冠は君に輝く(高校野球)」「六甲おろし(阪神タイガース)」他、早稲田大学、慶応大学の応援歌も。

 古関裕而氏が私の母校、大田区立徳持小学校の校歌を作っている。野村俊夫作詞、古関裕而作曲である。そのことは現役小学生時代から知ってはいたが、当時は時々テレビに出るおじさん程度の認識で、それほどに偉大な人とは知らなかった。
 氏は全国300校ほどの校歌を作曲したという。そのうち大田区は3校で、区内の小学校は我が母校、徳持小学校だけだ。何故にそんな有名な人が作曲してくれたのか知る由もないが、今に思えばそれはすごいことだ。記念館では古関裕而氏が作曲した校歌の一覧表がもらえる。東京の一番上に徳持小学校の名前がある。早稲田や慶応より上。少し誇らしい。

 記念館は福島駅から歩いて30分ほど、バスで10分ほどの場所にある。建築デザイン的にはやや古さを感じるが、1階がコンサートを開けるオープンスペース、2階が展示施設。パネル展示が中心だが、氏が作曲した自宅の部屋を再現したコーナーもある。和室に大きめの座卓が3つ組み合わせてありそれぞれに五線譜や資料がある。常に3つ以上の作曲を同時に手がけていたからだという。その書斎にはピアノがない。氏は楽器を使わずに五線譜を書きながら旋律をイメージして作曲したのだという。驚き。
 楽曲を聴けるコーナーもあるが、曲が少なく、自動で流れる仕組み。ヘッドフォンでも良いので、ジュークボックスのようにより多くの曲を選んで聴けると良いと思う。

 古関裕而氏、野村俊夫氏、イヨマンテの夜を歌った伊藤久男氏、ともに福島出身で同時代に日本の歌謡界で活躍した3人、親世代の懐メロを聴いた私の世代にも懐かしい。
 茨城県日立市に、橋幸夫氏、三田明氏、吉永小百合氏などを育てた作曲家の吉田正記念館があるが、どちらも懐かしい時代を思い起こさせてくれる。
 同世代の方々、訪れることをお勧めする。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )