2023 年 10 月 2 日
茅ヶ崎に行ってきました - 加山雄三氏の故郷
茅ヶ崎に行ってきた。茅ヶ崎は加山雄三氏が2歳から結婚する33歳まで住んでいた街。氏のファンとしては、中学生でカヌーを手作りし烏帽子岩まで行ったとか、海岸で貝を拾い大量の佃煮を作ったとか、日本人で初めて手作りのロングボードでサーフィンしたなど、数々のエピソードを知る街である。
駅から海に続く一本道は「雄三通り」であり「加山雄三通り」という楽曲にもなっている。以前は「上原謙通り」と言われていた。当時は未舗装の狭い道だったようだが、今は舗装もされバスも通る茅ヶ崎駅南口のメインストリートだ。海岸の1本手前の道の角に上原謙氏の家(加山雄三氏の実家)があったというが、今は東急のマンションが建っている。
そんな茅ヶ崎だから、ファンの私としてはすでに行ったことがあるだろう、行っておくべきだと自分でも思うのだが、実は加山雄三由来という意味では初めてである。今回は、茅ヶ崎ゆかりの人物館で加山雄三展が開催されているので、それを機会に行ったというわけだ。
茅ヶ崎は、母方の伯父が1965年に、当時の住宅公団、浜見平団地に住んだのがきっかけで、何度も行った。部屋は鉄筋コンクリートの5階、海まで歩いて行け、海に行けば左に江ノ島、烏帽子岩、右に真鶴半島、伊豆半島、さらに富士山まで見える。団地は芝生の中に遊歩道が走り公園のよう、真ん中にスーパーや商店が並んでいてまさに夢のような住環境だった。そこに、小学生から中学生だった私が春夏の休みに、大人になってからも時々行くのは、ちょっとした観光気分のイベントだった。
それは50年も前からの話だが、茅ヶ崎といえば親しみがあるので、そういう意味であえて行く気持ちにならなかったということかもしれない。
加山雄三展の内容は氏の生い立ちや茅ヶ崎に住んでいた頃のエピソードが中心だ。概ねのことは私も知っているが、ファンとしては何度見てもうれしい。特に、東海岸小学校の校歌作曲の件は、他の展示会ではあまり取り上げられないことだ。
当時、新設校だった同校の校長が、地元にゆかりのある加山雄三氏に校歌の作曲をしてもらおうと考え、いろいろなルートで依頼を試みたが予算30万円は当時の大スターには話にならない金額で、すべて断られたという。そこで一か八かと本人宛に手紙を書いたところ、直接に電話があり、しかも岩谷時子さんがわざわざ小学校を訪ねてくれて、岩谷時子作詞、弾厚作作曲の校歌が実現したという。30万円はすべて同校に寄付され、今も加山雄三文庫として図書室にあるらしい。
最近はサザンオールスターズの桑田佳祐氏の出身地ということもあり、サザン通り、サザンビーチ、野球場でのコンサートも話題になるが、やはり私にとっての茅ヶ崎は加山雄三である。
駅から雄三通り、脇道にそれると、サーファーショップやしゃれた喫茶店もあり、住宅もどことなく別荘風の構えの家もあり、散歩にはちょうどいい。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )