2023 年 12 月 31 日
私は100歳まで生きると決めました - 未来は遠く、過去はすぐそこにある
今年もあと1日、大晦日である。年齢を経るにつれて1年が短く感じるようになる、というのはそのとおりだとして、最近思うことは明け方に過去の夢を見ること、これが何故だということだ。
私も幼稚園の頃から様々な記憶がある。もちろんそのほとんどは忘れているのだが、いくつかの出来事が鮮明に思い出されるのだ。例えば、小学1年生、目黒区立宮前小学校、国語の時間に先生に叱られ、廊下に立たされたこと。社会に出てからの数々の失言。特に20歳頃からの悔しい思い出や情けない所業の数々。明け方にこれらの夢を見て目が覚める。それらのすべては自分が悪いわけではないが、思うようにならなかった悔しくもどかしい気持ちが蘇ってくる。あの時ああすればよかった、あの時やめておけばよかった、そんな悔しい思いが満ちあふれる。その一つひとつがまるで昨日のことのように思えるのだ。
これらのことを、自分にはこんなことがあったのだと、誰かに聞いてもらいたい衝動にもかられる。それを話したところで人は迷惑に違いないことも分かっている。だからまたもどかしい。
これは人生、仕方のない現実なのだろう。60数年前からの過去はすぐそこにあって、今の私とともに生きているということだろう。人は誰も過去からは逃げられない。これからの人生を変えることはできても、過去は決して消えることはないのだから。
過去は変えることはできないが、この先の未来は切り開くことができる。明日は何があるか分からない。若いときはこれまでの時間よりこの先の時間のほうが長かった。今も私は自分の死期を具体的に考えてはいないのだから、未来は永遠に続くと思っている。
過去は60数年であることは分かっている。しかしながら一方で、未来はどこまでか。私も来年は69歳。平均寿命が83歳だとして、漠然と思うことは死期まであと14年。これまでの人生より圧倒的に短いことも分かっている。
今年も谷村新司氏、坂本龍一氏が亡くなったが、二人とも70歳代前半だった。コメディアンの坂田利夫氏は82歳だったが死因は老衰だという。私も83歳まで生きる確証はない。これも人生、仕方のない現実だ。
トムハンクスが主演した「幸せへのまわり道」という映画で、雑誌記者である主人公の父親、若いとき家庭を顧みず妻子を置き去りにした男が病気で死期を悟ったときの言葉「人生は残酷だ。今になってどう生きるべきかが分かった」と吐露したシーンが今の自分にもどこか重なる。
でも、来年も今年よりもっと良くなることを信じて生きるしかあるまい。
さあ今年もあと1日。
私は100歳まで生きると決めた。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )