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2024 年 2 月 28 日

大地震に思うこと ― 建築学士として

 石川県能登半島付近を震源とした大きな地震があった。1月1日元日とあって、何かとショッキングな状況であった。正月に家族が揃って団らんをしている中での家屋倒壊には言葉がない。亡くなった方には御冥福をお祈りするしかない。

 私は工学部建築学科を卒業しているので建築学士である。私が建築を学んでいる在学中にも宮城沖地震があって学内にそのことに関する論調があった。また当時からも卒業してからも、東海沖地震が近いのではないかとの論調はあった。したがって建物の耐震性能については多少の知見がある。

 私が社会に出てからの大きな地震災害といえば、何と言っても阪神淡路大震災だった。倒壊した家屋、一部の階が潰れたマンション、横倒しになったオフィスビル、下層階が潰れた駅、横倒しになった高架道路など、驚きと共にやるせない気持ちになった。
 その後の東日本大震災では私自身も仙台にいた。地震による家屋倒壊はあまり多くなかったようだ。それよりも津波による被害が大きかった。津波によって破壊された町がその後に街全体が火災になった。その原因の多くがプロパンガスボンベからの発火だったようだ。やはりガスは災害の面からはリスクが大きい。オール電化のほうがリスクが少ない。
 そして、今回の能登半島沖地震。倒壊した住宅が多いことがショッキングである。と同時に古い建物、瓦屋根の建物が多かったようだがやはりリスクが大きい。屋根瓦は日本家屋の標準であったが、重量があり耐震的には不利だ。

 地震災害の度に思うことは、建物が建物として存在する意味である。結論からいうと、建物の意味は中にいる人間を守ること、要するに建物が潰れさえしなければ良いということだ。ガラスが割れようが柱や壁にひびが入ろうが、それは仕方のないことだ。要は潰れさえしなければ中の人間を守れる。
 どんなに大きな地震が来ても、柱にも壁にもひび一つ入らない、ガラスの1枚も割れない、そんな建物を作ることは可能だ。しかし、そうすると平時には必要としない柱の太さや壁の厚さ、強化ガラスや万が一の場合のバックアップ設備も必要だ。それを実現するには何よりもコストがかかる。
 東日本大震災は700年に一度、今回の能登半島沖地震は1000年から2000年に一度の事象だと推測されている。そのことがこの時代に起きたのは不幸なことだが、それほどの確率のために、何があっても絶対に壊れない家をつくるためにコストをかける、それは果たして現実的だろうか。建物が傷んだら補修して住むか解体して建て直せばよい。それが現実的なコストのかけ方だと思う。

 そういう意味で、今回の地震で多くの建物が潰れた、そのいくつかは中の人間と共に潰れてしまった。必要以上のコストをかける必要はないが、最低限のコストはかけるべきである。そのかけ方に問題はなかったか。建築を学んだ者としてはやるせない。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )