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2024 年 10 月 21 日

沖縄に行ってきました - きれいな空と海を素直に喜べません

 石垣に2泊、那覇に3泊してきた。知人には「いいなあ」と言われるが仕事である。観光する時間はない。楽しみがあるとすれば夜の食事だけだが、観光客向けの飲食店が多く、居酒屋さんも地元客のグループが盛り上がっていて、一人で夕食だけというお店がなかなか探せない。
 そのことを妻にラインしたら「空や海がきれいだからそれでいいじゃない」と返ってきた。さすがは我が妻、そのとおりだ。ただし、仕事場所は街中なのできれいな珊瑚礁の海は遠く、産業の港がせいぜい。空は確かに青く澄んできれいだが。

 沖縄にはここ数年、仕事で年に2~3回行くが、きれいな空や海を見ても私は素直に喜ぶことができない。理由は第二次世界大戦の沖縄の悲しい歴史だ。
 この青い海にはその節、海を黒く染めるほどのアメリカの艦船が押し寄せてきた。友軍の反撃を期待したであろう沖縄の人々が、その光景を見てどれほどの絶望感を抱いたことか。その結果が集団自決や崖からの投身につながったのではないか。
 沖縄には20万人余の兵士がいたという。その多くは本土から、中には東北地方の出身者もいただろう。ふるさとから離れたこの地で、青い空を見上げてどのような気持ちで故郷を思い、家族を思ったことか。2000キロも離れた沖縄で帰ることもかなわず、青い空を見上げて絶望したことか。空が青く澄んでいるほど、その思いは深く切なかったのではないか。

 この地を観光で訪れる人にとっては、晴れた青空、青く澄んだ海ほどありがたいものはないだろう。私も観光で訪れたならそう思うに違いない。しかし、沖縄に行くと、いつもこの地で亡くなった多くの人への思いが頭から離れないのである。

 今回の旅程には10月10日が含まれていた。私たちは東京オリンピック記念日(体育の日)として明るい気分だが、それも今では10月の第2月曜日になりスポーツの日。
 沖縄の人々にとってこの日は「10―10空襲の日」沖縄戦の前年に那覇市内が空襲によって焼き尽くされ多くの方が亡くなった日だそう。テレビも新聞もそのことを報じていた。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )