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2024 年 12 月 10 日

耶馬溪に行ってきました ― 子どもの頃からの思いを果たした

 大分での仕事の後、後泊して国東半島にある耶馬溪に行ってきた。初めての訪問だったのだが、この地には子どもの頃からの思いがあった。
 私は子どもの頃から鉄道が好きだった。日本全国の鉄道線路と主なバス路線に沿ってサイコロを振って出た目の数だけ列車のコマを進めながら全国の都市や観光地を巡るすごろくのようなゲームがあり、これが好きだった。家族や友人ともやったが、日本全国を訪問することを想像しながら一人で遊んだことのほうが多かった。その観光地の中で耶馬溪(やばけい)というその音の響きが強く記憶に残っていて、いつか行ってみたいと思っていたのだ。
 また、その耶馬溪地区の一部に「青の洞門」がある。これも小学生の頃、絵本で読んだ記憶がある。全国を行脚していた僧侶がこの地を訪れ、地元の人が苦労して通っている危険な場所を安全に通れるようにするために、一人で手彫りで何年もかけて安全な通路、洞門を貫通させたという話である。子ども心にすごい人がいるものだと思った。その地に骨を埋める覚悟で一生をかけた滅私の行為、その思いの場所を見たかったのだ。

 耶馬溪は川に沿った渓谷だと思っていたが、渓谷というよりは火山岩の浸食によってできた奇岩と紅葉の絶景。しかも耶馬溪を名乗る場所は広く、一目八景、深耶馬溪、奥耶馬溪、裏耶馬溪などなど、川沿いではない場所もある。それぞれの見所はそれなりに距離が離れていて、山深い場所、開けた川沿いの場所、里山のイメージの場所もみな耶馬溪を名乗っている。ダムや庭園、レジャー施設もある。かつては相当に賑わったと思われる一目八景という場所には、展望台、ホテルもいくつかあったようだが、今となってはその規模も小さいもので、ホテルも廃墟になっている、寂れ感は否めなかった。

 羅漢寺という山の上にある名刹も、観光客用に登山リフトがあるが今は運行されていないようだった。
 その羅漢寺に行くために、かつて人々は岩場を登り降りしていたのだそうだ。山道から転落し命を落とす人も少なくなかったようで、そこで青の洞門ということになったらしい。青というのはこの地区の字名だ。僧侶が何十年もかけて手彫りで貫通したと思っていたので狭い洞門かと思ったが、そういう場所も一部にあるものの県道として車が通っている部分もあって、規模は想像とはやや違っていた。僧侶も自ら掘ったというのはそのとおりだが、実際には托鉢で寄付を得て住民や職人にも依頼し多くの人が関わったらしい。確かに一人でこの規模は無理だと実感。

 今回は耶馬溪から豊後高田市の昭和の街、国東市の両子寺と巡り、夕方には大分空港から帰る、レンタカーで急ぎ足の見物だったが、国東半島には風光明媚な名所や歴史を感じさせる場所が多いことは間違いがなく、次はもう少し時間をかけて訪れてみたいと思った。多くの人に是非行ってほしいエリアだ。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )