2025 年 1 月 4 日
母の記 その2 ― 年の始めに思うこと
昨年、母が亡くなったことは、私にとって人生の節目だった。年が明け、喪が明けたからといって気持ちがそう簡単に清々しくなるわけではない。人の死とは、その人との関係性に未来がないことだと知った。人の死とは悔いが残ることだと。
私の父はある企業の役員だったことは以前にも書いた。その会社は昭和40年代後半からのオイルショックにより業績が悪くなった。結果、我が家の家計は苦しかったようだ。私が高校生から大学生、妹が3歳年下だから学費もかかる時期だった。母は実家から一時金を借りた、父は銀行から生活費を借りたことを私が社会に出てから聞いた。その銀行の抵当権が今も抹消されていないことをつい最近になって知った。
そのような環境の中でも、母は私が20歳になった時に生命保険に加入したくれた。人生何があるか分からないから、備えだけはきちんとしておくようにという気持ちがこもっていたのだろう。
また、私が就職した時に母は言った。「収入の20%はないものと思って貯金しなさい」「余ったときに貯金するのでは、決してお金は貯まらない」「20%なら節約すれば普通に生活はできる」と。私は就職してまもなく名古屋に転勤になり一人暮らしを始めた。当時の給料は手取りで10万円くらいだったから毎月2万円。ボーナスが1回30万円くらいだったから6万円。これで2年もすればそれなりの金額にはなるわけで、車(セリカの中古車)やステレオ(オンキョウのプリメインアンプとヤマハのスピーカーなど)を買った。当時私は貯金して現金で買った、そのことを自負した。
父も母も決して裕福な家庭に育ってはいないし、私も前述のとおりである。まあ普通の家庭で育ってきたことが今となっては幸せだ。スーパーマーケットに行ってもお買い得品に目が行く。値引き商品があるとついかごに入れてしまう。たまには美味しいものを食べに行くが常識的なお店を選ぶ。仕事先では一人で食事をすることはあるが、基本的に夕食は家で食べるし、お酒も家で飲む。女性のいる店などには行かない。家には世界で一番ステキな女性が待ってくれているのだから、妻と娘の顔を見ながら飲むほうが幸せだ。
私のマンションの駐車場にはたくさんのBMW、ベンツの車がある。私はそれらに憧れはするが買う勇気がない。マイカーは日産の中古車。知人がベンツのドアミラーが壊れて修理に出したら代金が40万円以上の請求だったなどの話を聞くと胸が詰まる。私はある意味でお金の使い方を知らないのかもしれない。
でも、それで良いのだと思う。母の遺品にはいわゆる贅沢品は一つもなく、ほぼすべてが実用品だった。使う宛のないものも多く出てきたが、それは高齢者の倣いで私も同じだと妻の指摘もある。
「人生で大切なものは、愛、勇気、サムマネー」はチャップリンの言葉である。それを別の観点から教えてくれたのは母だった。母とは考えが合わないことも多かったが、生活する上においてのお金と生活という基本的な考え方を示してくれたのは、間違いなく母だった。今となっては、母との関係性をもう少し何とかならなかったか、もっとしてあげられることはなかったか忸怩たる思いだ。孝行したいと思う時には親はなしというが、母が亡くなった以上、そのことを思うしかできないわけで、それを引きずるのがこれからの私の人生なのだ。
これはすべての人が感じていたことかもしれない。もう一度記す。人の死とはその人との関係性に未来がないこと、悔いが残ることだと。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )