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ブログ

2025 年 2 月 8 日

かけた情(なさけ)は忘れろ ー 最近になって分かってきたこと

「かけた情(なさけ)は忘れろ」「受けた恩は忘れるな」
以前に関西電力のある営業所長M氏が部下に言っていたことだ。数百人の部下を束ねる会社組織の長としては「目標達成」とか「お客さま満足」とか、もっと実務的なことを言いそうなものだが、このM氏は実に哲学的というか人としての生き方について根源的な発言を繰り返すタイプの人であった。私はこういった発言をするM氏が好きだった。

 M氏と知り合ったのは私が30歳代の頃。約30年にわたって仕事上のお付き合いをいただきながら何度もお酒を酌み交わし、氏は人生を語った。私はM氏から多くのことを学び薫陶を受けた。この言葉も当時に伺った言葉の一つである。年齢は私より上なので、すでに定年退職されて10年以上にもなり、今となっては連絡を取り合うこともなくなったのは寂しい限りではある。

 それに加えて「他人のことほど一所懸命に動け」
 父の務めていた会社の社長だったY氏の生き方、哲学である。私の父の先輩であるから私にとっては相当にお歳が上で、ご存命なら100歳を優に越える。この言葉は直接に言われたわけではないが、Y氏は人が困っていることや抱えている問題に実に献身的に取り組んだ。自分の部下の子どもである私や妹のことも、父が存命の当時も亡くなってからも親身になって心配してくれ、いろいろと相談にのって話を聞いてくれた。このことは以前のブログでも書いたが、Y氏の生き方は私の今の生き方の指針といえる。

「かけた情(なさけ)は忘れろ」
「受けた恩は忘れるな」
「他人のことほど一所懸命に動け」
 私はそれぞれを人生の指針としてきたが、今この年齢になって思いがさらに深くなってきたような気がする。何故か。人生を経るにつれて人の傷みが分かったきたから、ではない。最近の私は残り少ない人生、健康年齢をいかに過ごすか、そんな自分のことを考える嫌な奴だ。

 むしろこう思う。以前は小さいながらも会社を経営していた。仕事も社員のこともあれこれ考えて実行してきた。それによって感謝されたこともあるし悔しい思いもした。私的にも家族のことが第一だったし、他人の世話も焼いてきた。が、歳を経るにつれて若いときよりも公私にわたってやることが減ってきた、他人に頼られる事が少なくなってきたからではないか。つまりやることが少なくなって寂しいのではなく、やることが少ない分だけ他人の恩を感じる、人のために動く行為への密度が濃くなったのではないか。そう思えてきた自分がいる。それは生きることへ諦めではなく、今の思いの問題だ。
 こういった言葉によって励まされ、そのことを行動の指針として今を生きる。すべてがうまく行くわけではない。反省することばかりだが、まずは先人に感謝である。

代表

関根健夫( 昭和30年生 )