2025 年 12 月 30 日
負荷をかけなければ人生は不幸だ ― 年末に考えたこと
今年もあと数日で終わる。新しい年が始まる。皆が幸せになって欲しいものだと思う。もちろん自分もだ。
今年は120件ほどの研修、講演をした。2021年に会社を清算し仕事を減らしているのでだいぶ減った。
40~50歳代の頃は、年に200件近い研修、講演をこなしていた。例えば鹿児島市で午後5時まで研修して、飛行機を乗継ぎ翌日には札幌市で午前9時から研修を始めるとか、移動に新幹線では間に合わないので深夜発の夜行バスで次の研修先に向うとか、一日も空けずに仕事の日程を入れていたものだ。
20歳代、不動産会社で用地交渉をしていた頃は土地を買うために関係各所に何度も連絡を取り、とにかく契約にこぎつけたいと奔走した。30歳で研修、講演業に転職してからも、今こうしている間にライバル会社がお客さまにコンタクトしているかもしれないと思うと居ても立ってもいられず、仕事を増やすために北海道から沖縄まで顧客訪問や電話を繰り返した。
最近はホテルに泊って1箇所を往復するだけでも、結構な疲労感を覚えるようになった。
今年は一部の研修先に来年度の辞退を申し入れ「どうしても」とご指名をいただけるところのみ日程をお約束している。こちらから「やらせて欲しい」という働きかけをしていないのである意味で気楽ではある。一般的な会社員であれば70歳にもなれば再雇用も終了するだろうから、個人事業としての講師、著述業としては、どんなかたちであれ仕事があるだけありがたい。
しかしながら、そういう状況になって気づくこともある。生きるうえでの張り、生きがいを感じる瞬間をどう考えるかだ。それは負荷のある状態、それは挑戦すべきことであったり、解決すべき課題があったりすることだ。人生において背負うものがある、やらねばならないことがある、だから苦しいし達成できなければ悔しい、でもだから頑張れるのだろう。
楽して暮らしたい、定年になったら妻と温泉旅行に行こうなどと考える親父の存在は、そうなった時点できっと家族には迷惑なものに違いない。旅行など毎日するわけにはいかない。
常に何かをやり遂げようとする姿勢を持ち、適度な悩みなど負荷のかかっている人間のほうが尊敬もされるし共感もされるはずだ。子育てでもいい、お金を貯めて何かをするでもいい、結局、何らかの負荷がないと人は幸せにならないのではないか。
人生の終わりに近づきつつ、売り上げを伸ばすとか事業を拡大するとかではなく、この先何をすべきか。家族のために、社員のために、もちろん自分のために、考える年末である。
代表
関根健夫( 昭和30年生 )